幽体離脱のテクニック
全くもってスピリチュアルなお話ではありませんので予めご了承を。
何かにのめり込めるということは素晴らしいことです。趣味に、仕事に、恋愛に。のめり込むことでしか見ることが出来ないものがあるのは間違いありません。
一方で、のめり込みすぎると見えなくなるものがあるのもまた然りです。後になって、なんでこんなことに気付かなかったのだろうと思うこと、ありますよね。
この『情熱と冷静のあいだ』は何かに取り組んでいる人誰もが乗り越えなければならない壁です。双方の視点を持つために、のめり込む自分と共に、引いて見る自分も用意しておかないといけないのです。
そのテクニックを、コンサルタント業界では『幽体離脱』と呼んでいました。結構業界の一般用語になっていて、「ちょっとそれ、幽体離脱して見てみなさい」で普通に通じたりします。
幽体離脱のように、すうっと上から俯瞰して、自分の考えを見直してみるのです。感覚的な言葉ではありますが、イメージとしては非常に伝わりやすい言葉ではないかなと思います。
例えばnoteでも、他の人のnoteを読むときは、誤字だったり、ロジックの飛躍って結構気付くものですよね。でも、自分が書いたnoteでは誤字やロジックの飛躍には恐ろしいほど気付かないものです。
これは、自分が「noteを書く」ということにのめり込んでしまっているからで、冷静に自分のnoteを見ることが出来なくなってしまっているからです。
そして、この現象は多かれ少なかれ、自分の行っている全てのことで起こっています。
特に、仕事で長期のプロジェクトを進めている方など、どっぷりと長期間一定の環境に浸ってしまっている場合には、もう冷静に周りを見ることができなくなっている、ということは日常的に起こり得ます。
そのため、新規メンバーの参入のような、新しい目が役に立つこともあるのです。これは、システマティックに新しい目による俯瞰的な視点を導入している、ということです。
ちなみに、どっぷり浸るというと少し悪いことのように聞こえてしまうかもしれませんが、それもごくごく自然で、かつ必要なことなのです。
何かを担当するということは、その対象についてよりディテールな理解を得るということなのです。どっぷりと浸らないと見えないことは沢山あります。
ただ、他の人に説明しようとしたり、方向性を考える時には、考え方の大きさ、粒度(りゅうど)をコントロールする必要もある、ということでして、下からと上からという視点の方向性が違うのだと考えるのが適切です。
再びnoteの例で言うと、書き終わってから、一晩置いて翌朝見て頂くと、「あれーこれ何だっけ」という文章が出てくると思います。これものめり込み熱が冷めた事による幽体離脱の例です。
優秀な物書きの人は、締め切りの何日も前に書き終えて、暫く置いてから見直して完成させるそうです。さすがですね。
ということで、定期的に、意識的に、幽体離脱をすることは、とっても大切だよね、というお話でした。
なーんて言っても、恋の最中には全く周りが見えなくなるように、のめり込んでいること自体が気付きにくいものだったりするんですけどね。
まあ、「自分が何かをやっている時は基本的にのめり込んでいるのである」という認識と、「時折立ち止まって冷静になって考えてみることが必要」ということを知っているだけで、大分違うのではないのかなと思います。
ちなみにちょっと趣旨は違いますが、昔の文豪はよく幽体離脱をして遊んでいたと言われています。
寝る前布団に横たわっている時などに、自分を上から見ていると想像し、そこから家の外に意識を飛ばし、街を上から見下ろしていたそうです。
これも物書きという、どっぷりと浸ってしまう仕事の反動としての遊びであり、俯瞰のトレーニングだったのかもしれませんね。
ぜひ、幽体離脱、試してみて下さいね。
ではでは。
<このnoteを書いたしょこらはこんな人です>
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