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珈琲を淹れるように言葉を選びたい

なんかもう、羨ましくてしょうが無いので書いちゃいました。

本来自分は、そこまで何かに嫉妬を感じる方ではないようです。「こうしたい」という意思はあるのですが、「こうしなきゃ」という感情はそこまで強くありません。

ただ、何故か分からないのですが、上手い文章には喉を掻くような嫉妬を覚えてしまいます。昨日も、"Amazon文学"を読んでなぜかもの凄く羨ましく思ってしまいました。

いい文章だなあ。読んでいると、情景が浮かんで、読み終わるとクスっとするような文章です。

今日は、そんな文章に関するお話。

心はゆとりから伝わる

ただの文字の羅列のはずなのに、読むだけで、リズムを、心地よさを、さらには香りまでを感じさせてくれる文章は確かにあります。

書いていることはちょっとした日常的なことなのに、言葉に浸らせてくれる文章です。

仕事では、短く、簡素に、要点を絞った文章が求められます。

ただ、それって情報を伝えるという意味では優秀なのですが、心を打つという意味だと言葉の力の半分しか使っていないとも思っています。

言葉達をぎゅうぎゅうに狭いキャリーケースに押し込んで、無理矢理運んでいるイメージです。

心を伝えるためには、もっと自由さが必要です。ちょっとした前置き、情景を思い起こさせるディテール、雰囲気を感じさせる韻などなど。

そういった、言葉が自由に踊っているような文章が、私は大好きです。

結局、渡す方にも受け取る方にもゆとりがないと、心は伝わらないのだと思います。

言葉は認識の粒度

言葉は世界の認識の粒度です。言葉の細かさの分でしか、私たちは世界を感じることができません。

「エモい」にしても、跳び上がる程嬉しいのか、胸が温まるほど嬉しいのか、溜飲が下る程に嬉しいのか、様々な「エモい」があるはずです。

言葉の細かさは、そのまま、世界と心を繋ぐフィルターになります。

似た様な話で、味覚に鋭くなりたかったら食レポをしろという話があります。

冗談のような本当の話で、食レポをしようとすると、色んな味を認識してそれを伝えなければならないので、味覚により鋭敏になるそうです。

一つ一つのものをしっかり味わう。そして、それを表現できる程に認識する。それによって、今まで「無かった」味が舌の上で姿を現します。

同じ人生、少しでも多くを味わいたいものです。そのためには、多くを食べる必要なんてないのでしょう。

言葉を多くすることで、より多くの味を味わえるのです。

言葉遣いに嫉妬した本たち

ということで、言葉遣いに想いを馳せらせたのですが、何冊かこの本の言葉遣いはすごかったと思う本を思い出しまして、ご紹介させて下さい。

味覚と言葉に関する話ならば欠かせない一冊です。踊る文章に魅了されるというだけではなくて、物事をどのように因数分解するのかという視点や、どのように上手く主張するのかという実務的な面も楽しめるのが魅力です。

とにかく洒脱の一言です。生き馬の目を抜く実務の仕事の世界の話をバーで聴くJAZZかと錯覚します。いつかはこんなエッセイを書いてみたい。筆者が落語がお好きだと知り、見様見真似で落語を聞き始めたのはナイショの話。

とても、同じ世界に住んでいるとは思えない。日常を視る倍率が違いすぎて、こんな感度で生活していたら頭がクラクラしてきそうです。教科書で読んだお話も多く、夏の終わりのような懐かしい香りがするのもステキです。

まとめ

言葉や文章について話すと、ついつい熱くなってしまいます。でも楽しいですね。

なんだか、言葉の使い方を考えることってコーヒーを淹れる時のワクワクに似ています。

コーヒー豆を挽いて、フィルタの上に敷き詰めて、お湯をじっくり蒸らしながら淹れて、一滴一滴コーヒーが出来上がる。

心を表す言葉を選んで、一つ一つ丁寧に書き連ねて、文章として仕立てていく。出来上がった文章をゆっくり愉しむ。

贅沢な時間の使い方だと思います。

たまにはそんな時があっても良いのではないでしょうか。

ではでは。


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