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『街とその不確かな壁』読書感想文

村上春樹さんの長編小説『街とその不確かな壁』を読了しました。

小説を読むとき、作家の書きたいこと、作家が真実だと思っていること、読み手として、可能なかぎり受け取りたいと思って読んでいます。その気持ちは、文学作品に限らず、エンタメ作品においても同じです。

人気のある小説家は、読み手に正確に真実を伝えるために、手の込んだプロットをつくり、読みやすくなるような工夫を重ね、さらにリズムのある文体で、その作家が考える真実の物語へ誘います。

村上春樹さん、そして大江健三郎さんのおふたりは、天才かもしれませんが、その真骨頂は、読み手に伝えたいことを正確に伝えることができる力。

どんな場所で生きているのか、何を選び、何を選ばなかったのか。
何を思い、何を思わなかったのか。

この小説を読んでいくと、言葉にすることが出来ない得体の知れぬ感情に、まるで我が子の名前をつけていくような感覚で、言葉を選んでいるようにも見えます。ひとつひとつのチャプターで、一冊の本を読んでるような気持ちになりました。同じ喪失を語りながら、時間軸をかえて、違う感情を表現しています。必要であれば、文体を変えてリフレインもしていました。

例えばある歌手が同じ歌詞を歌っているのに、表現を変えて歌い分け、聴く者の心を揺さぶることにも似ています。あっという間に読んでしまったというよりは、一晩でひとつ、ふたつのチャプターを読んでは、思い、巡らせを繰り返し、その世界に漂っていました。読んでない日もありますが、読了するのに2カ月ほどかかりました。こういう本の読み方をするのは、稀なことです。

たぶん、そう読むきっかけは、村上春樹さんが2010年に発刊した『ねむり』という作品の影響だろうと思います。今でも眠れなくなると『ねむり』を図書館で借りています。面白いお話かというと、まったくそういう類の作品ではありませんし、眠くもなりません。ですが、読んだあとにとてもリラックスしている自分がいました。

日々の暮らしから ぶっちっと切られる浮遊感です。小説の中に漂うことは、とてもリラックスすることだと、気づいてしまったわけです。
この作品にもそういう要素はかなりあったと思います。


ここから作品の内容に少しふれてみます。

さて、皆さんが生まれた日は何曜日だったでしょう?

主人公は、水曜日生まれでした。そして、作者の村上春樹さんも、水曜日生まれです。なんとなくですが、イエローサブマリンの少年も水曜日生まれだと思います。本書において、『なんとなくそう思う』ことは、とても重要なことでしたので、あえてそう書きます。

コメディホラーの『アダムス・ファミリー』に登場する、少しクセのある少女の名前はウエンズデーです。彼女の名前が、マザーグースの曜日の歌からきていることは知っていました。

wednesday's child is full of woe

かくいうわたしも、水曜日生まれです。つまり、同じ穴のむじななのです。

水と水とが混じり合うように。あるいは別の言い方をすれば、私たちはもともとの姿に『還元された』のだ。

第三部 66 P624

エンディングのこの言葉で、登場人物も作者も読者も混じり合った感覚を持ってしまい、全身がゾクッとしました。
それは、悪い意味でなくむしろ『一体化』への喜びです。

読了後に思ったことは、般若心経の照見五蘊皆空しょうけんごおんかいくう 度一切苦厄どいっさいくやくでした。『街とその不確かな壁』はなんとなくですが、くうのことを、書いていると思いました。

イエローサブマリンの少年が壁について語ったとき、わたしも少年と同じように壁のことを解釈していましたし、わたし自身も、影をなくしてしまった感覚はややあります。まぁどちらが影かはわかりませんけど。

自我がなくなることと、空であることの相違について、村上春樹さんがどう解釈して物語をつくったのかは、もう少し読み込みたいところです。

重要キャラクター子易さんの存在にはとても癒されました。
彼の所作、言葉選びが秀逸で本当に素敵でした。

そして私にとって本作の最大のミステリーは『葱』です。忽然の忽と葱の字が似ているから、重い展開の中でちょっとユーモアを置いただけとは思っていますが、文章通り、考えても答えなど出ないことの象徴かもしれません。
でも深い意味もありそうなので調べてみようと思います。

この作品は多くの方が感想を寄せているかと思うので、これから、じっくりどんな感想文を書かれているか読みにいきたいと思います。

↓ 何曜日生まれか知りたい方はこちらから

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【葱について】2023.06.16追記
葱の謎ですが『カラマーゾフの兄弟』を連想したというコメントを頂きました。グーグル先生で色々調べてみたのですが、確かに、このドフトエフスキーの『一本の葱』のお話よりも、しっくりくるものは、ありませんでした。

子易さんの妻はミッション系女子大で仏文学を専攻していて、寓話自体の存在を知っている可能性もありますし、ドフトエフスキー読んでいる可能性もあります。

『一本の葱』の寓話に、小説との言葉の繋がりを感じました。繰り返す後悔や、あえて太い葱を用意していること。葱を2本用意したのは、自分と息子の2人分ともとれますし、妻が子易さんに唯一与えることができるものだとすると、とても合点がいきました。

↓ 参考にした『一本の葱』の寓話詳細はこちらから

小さな一つの慈悲が人を救う。『カラマーゾフの兄弟』一本の葱に寄せて | ばさばさ生きねば研究室 (basabasa.net)

いつも読んでくださり
ありがとうございます。



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