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『蝦蟇の油』読書感想文

今回は、日本を代表する映画監督黒澤明が自らの半生を回想した自伝『蝦蟇がまの油』を読んでみました。幼少期の思い出に始まり、「羅生門」でヴェニス映画祭グランプリを受賞するまでが語られています。大正・昭和の世相と共に、映画に関する様々なことが、映画監督・芸術家の目線で綴られた大変貴重な本でした。

それぞれのテーマは簡潔明瞭に語られ、文体は優しい。内容も濃密で、どこを切り取って感想文を書いたらよいのか悩ましい。

明治生まれ、大正育ち。

泣き虫の金平糖さんだった少年時代の大正初期は、まだ明治の香りが漂っている。司馬遼太郎著『坂の上の雲』を引用し、明治の人は坂道の上の向うに見える雲をめざして、坂道を登っていくような気分で生活していたように思う。と書いてあるだけで、明るい未来しか想像してない時代を生きている感じがした。

令和の人が坂道の上の雲を見れば、あの雲はビルにかかっているから高度500mかな?と現実的な発想で、雲を見るのだろうか。時代をつまらなくしているのは、そういう感じ。

映画の世界に入る前の彼は、画家になろうとしていました。ゴッホやユトリロの画集を見れば、景色はゴッホやユトリロの眼になってしまい、独自の眼でものが見えないという。己の眼を持つことができない彼は焦った。

そんな彼に父上は、焦るな、焦らず待てば道は開けると声をかける。これが驚くほど正確に的を射ていた。と彼は書く。

確かに才能なんてものは、簡単に手に入るものでなく、何度も試行錯誤していくうち、向き合い続けた末にできる美しい結晶のようなものだから、焦らず地道に物事にはあたるのが、私もいいと思う。
(センスは生まれながらにあるかもしれないが、才能は育むものだと、日々暮らしてきてそう思う)

彼にとって映画とは芸術作品。そういう心持ちで映画製作をしていた。彼は映画監督であるけれど、多くの脚本も手掛けている。小説と脚本は全く異なるものだけど、小説と映画は似ていると書いていた。映画ファンとしては、その感覚は、なんとなくわかる。彼はその感覚を『言葉の綾』だと書いていた。今はネガティブな使われ方をする『言葉の綾』、本来の意味は『巧みな言い回し』で、直接的な表現をさけ、何通りの捉えることができる状況を表現するのこと。なんて美しい日本語なんだろう『言葉の綾』、映画の編集にも『綾』が必要だとも書かれていた。

彼が情熱を持って製作した初期の映画作品のうち、下記4作品は、本書の撮影秘話を読みつつ、近くネット配信で映画鑑賞したいと思いました。

★1934年 姿三四郎
★1947年 素晴らしき日曜日
★1949年 野良犬
★1950年 羅生門

本書を読んでいて一番同意したところは、本質的には同じ人間のところ

植草は、何かといえば、自分と比較して、本質的に全く違う人間だと云うが、私に云わせれば、植草と私は本質的に違うのでなく、表面的に違うだけだ。植草は、私を悔恨や絶望や屈辱などに縁のない、生まれつきの強者だと云い、自分は生まれつきの弱者で、絶えず涙の谷で、心の疼きや、呻きや、傷みのかなで生きているというが、この観察は浅い。

私は人間的苦悩に抵抗するために強者の仮面をかぶり、植草は人間的苦悩に耽溺するために、弱者の仮面をかぶっているに過ぎない。そして、それは表面的な相違であって、本質には二人とも弱い人間である事に変りはない。

P299-300

泣き虫の金平糖さんは、癇癪持ちで、怒りん坊の、繊細さんだから、たぶん凸凹はお持ちだろう。彼は自分のことを特別な人間だとは思っていない。

特別強くもなく、特別才能に恵まれた人間でもない。弱みを見せるのが嫌いな人間で、人に負けるのが嫌いだから、努力している人間に過ぎない。

ただそれだけ。と


タイトルの『蝦蟇の油』は、ガマの油売りの口上をイメージするようにしてるかな?最終のページで、この自伝のようなものを書いてきたが、自分自身に醜い部分にふれず、大なり小なり美化して書いているのではあるまいか?と書いたていたけれど、タイトルだけで、その醜い部分も、胡散臭さも読者に想像させるあたり、やっぱりさすがです。

ガマは己の姿が鏡に写る、己の姿を見て己と驚き、タラーリタラーリと油汗を垂らす、その油汗をば下の金網より抜いてとり、柳の小枝をもって三七、二十一日の間、トローリトローリと焚き詰めたるがこのガマの油だ

『ガマの油売り』の口上

黒澤明は映画監督のみならず、自伝執筆もすごかった。
明治生まれ、大正育ち。
誰もが暗い運命に巻き込まれた世代。
読み応えのある1冊でした。

いつも読んで下さりありがとうございます。


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