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煮詰まると煮詰めたくなる

以前勤めていた職場で、文字の書かれた書類は全て、ごみ箱ではなくBOXに入れる決まりになっていた。ちょっとしたコード、記号、名前の一部が書かれたメモや付箋に至るまで、BOXに入れる。個人情報保護法のなせる業。

そのBOXがいっぱいになる頃に、担当の人が封をして業者さんを呼び、引き取りに来てもらう。そしてドナドナよろしく運ばれる。

BOXごと溶解処理されるのだと教えてもらった。

ようかいって~溶解っすか~?!闇の地下組織みたいな、物騒であやしい危険な香りがした。

言葉一つで想像が止まらなくなることがある。

ロードオブザリングの指輪を捨てる場面、あるいはクレイジージャーニーでタッキーが行った溶岩湖でもいい、真っ赤に煮えたぎるマグマに、火傷しそうになりながら、火の粉をかわしながら近づき、溶解BOXを投げ込む。ターミネーターの液体金属みたいにとろけるBOX、固体から液体への過程を想像する。平然と何くわぬ顔でキーボードをたたきながら、頭の中は地獄絵図。なんだかなぁ。

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私は煮込む料理が好きだ。炒めたり焼いたりは短期決戦だけど、煮込みは長丁場だ。調理時間が長いと、なんとかごまかし、まとめることができる気がする。

性格が適当なので、きれいに切ったり、きちんと計ったりできない。適当にやっても修正できる感じと、煮込んでしまうので形はさほど気にしなくていいところ、味もさほど気にしなくてもなんとかなるところが私に合っているのだと思う。

煮込む料理でも、特別なのが、ジャムとミートソースだ。ザクザク切って、放り込んで、ひたすらぐつぐつ。肉じゃがやおでんは形を残す方向性に持っていかねばならないが、ジャムとミートソースは形をぶっ潰しに行く破壊的なところがいい。原形をとどめなくていい、好きなだけやっちゃって~と自由に解き放たれた感じがするんだよな。

そういえば、実生活で"はじける"ことがあまりないので、これが私の"はじけ"方で、ここぞとばかり”はじけている”のかもしれない。

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なにがいいって煮詰めるって言葉の響きがいい。主体は私で対象を煮詰めてやる、能動的でしてやったり感がポジティブになれる気がする。

なべ底からぶつっぶつっと、気泡が浮かんでは消え、浮かんでは消える。それをただじっと見る。形を失いドロドロになっていくリンゴやら野菜たちを見おろす。傍から見ると、ヤバイ目をしているかもしれないな。

木べらでなべ底をさらうと、マグマ感がひととき薄れる。しばらくすると、またふつふつとわき上がる。その繰り返し。

鍋を見ているのは私だけど、鍋の中は私の内面でもある。グツグツされてブツブツ言っているのは内面だ。投影だな。自分の中にあるドロドロやモヤモヤを、取り出してドロドロに溶かし込む。

気味の悪い魔女が、邪なことを思い浮かべながら、薄ら笑いを浮かべながら、大きな木のしゃもじで混ぜ混ぜ。決して「美味しくなあれ」ではないのだ。お鍋がポップな色でよかった。せめてもの救い。

換気扇を通して、蒸気が外に出ていく。今度は液体から気体だ。

あれにはたぶん悪い成分が含まれている。嫌気だったり、怒りだったり、捨て鉢な気持ちだったり。お隣の奥さんは「みーなさん家から美味しそうな匂いする」とよく褒めてくれるけど、毒が強いかもしれないから気を付けてね、とこっそり思う。

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定期的に煮込み料理を作りたくなるのは、私の個人情報保護目的の溶解行きBOXが、いっぱいになるからなのかもしれない。

溶解作業の折には、心の内で魔女に仮装して、消化しきれないものを溶かして、悪い成分を気化させる。料理をしているようにしか見えないから、誰にも悟られず迷惑もかけず、粛々と執り行われる心の浄化作業。そしてありがたい副産物もできる。できたものは過程がどうであれ美味しい。

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