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薔薇の憂鬱

なんかカッコつけたタイトルですが、なんてことはありません。
要は書くことがない、ってお題でだらだらと文字数を稼いでみました。
__って、誰にことわってるんだ、わたし? 自虐&苦笑。


なにかすごく役に立つことを書いているわけでもないので特にバズるわけでもなく、いつでもやめられると思いながら淡々と続けているnote。
やめてしまうのは簡単だけれど、きっと一度休んでしまったら2、3日に一度、1週間に一度、そのうち月に数回、、、って更新頻度になってしまうのは目に見えているので、そうならないために続けている、というのが正しいかもしれない。毎日の習慣、ルーティーンというのがほんとうに苦手なわたしなので。

一年続けてわかったのは、やはり同じような季節には同じようなことを書いてしまいそうで(誰も一年前の記事と読み比べたりなんてしないだろうし、自分だってそうそう読み返すわけではないのだけれど)、書くことがないなぁと思ってしまうことが増えたこと。あ、この話題って書いたよね、古いよね、って自分のなかでジャッジしながら、“変化してない自分”自己嫌悪してしまうことも増えた。特に、こんなご時世なので特筆すべきできごとみたいなのも激減した。家の中にひとりでいると、そうそう話題なんて見つからない。かといって、自分と向き合いすぎるとメンがヘラっちゃうし。


で、この構図ってなんか覚えがあるぞと思ったら、むかーし昔、小学生の頃の夏休みに「日記に書くことがないからおでかけしたい!なにもなくちゃ書けない!!」と騒いでいた幼い日の記憶が蘇った。うわああぁ、変化してない自分ってその頃からか!
大人になって、いわゆる会社員でないわたしは不定期な生活を送っていることが多かったので、刺激的とまではゆかなくても日々何らかのできごとがあったからわからなかっただけなのだ。いざ、家で仕事ができるようになってルーティーンを自らに課さねばならなくなって、わたしは自分から“できごと”を作れない類の人種であることに気づいてしまった。これまでいかに流されて生きてきたのかってことだし、つまりは己に企画力や行動力がないってことよね、、、あぁ他力本願。


そんなわたしなので、今も誰かの企画にのっかっている。
そうだよなぁ、だからわたしのnoteはたぶんつまらないんだろうなぁ。発信力がないってことだもの。でも、たぶん、これがわたしのnoteのスタイルなんだろうとも思う。


しまこねこさん、わざわざご紹介いただきましてほんとうにありがとうございます。

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