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Chart 1. なぜ自己表現が苦手な私が、noteを始めるのか ~自己紹介編~

はじめまして、チョコラです。梅雨が本格的にはじまり、じめーっと肌がベタつき始めたこの頃、私はnoteの世界に入ることにしました。

しかし、私は僧も「え!」とびっくりするほど3日も経たず飽きる性格、自己表現なんて苦手を通り越して超が付く苦手さん。

それでも、なぜnoteに向き合うのか?そこには、私のストーリーから解き明かします。


自己紹介

あらためまして、「チョコラ」といいます。我が家の王様、うさぎ様のお名前を無断で拝借してチョコラと名乗っています。

幼少期の私は、活発屋かつゲーマーで、時間があればダンゴムシを探しに行くか、ゲームボーイや64で遊ぶアウトドア&インドアのハイブリッド型でした (年齢がわかりますね)。

そんな私は、10代から「おもしろい!」や「はっ!」とするものを見つける探検家な性格も人一倍あって、それが何年経っても衰えず、ついには海外へ興味が変化し、様々な国で生活や仕事する妙な人生を送ることになりました。

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と、ここまではなんと活発な女なんだ、と言われそうな紹介ですが、事あるごとに上書きする人生は、決して笑えるポジティブな側面だけではありませんでした。

心にグサッと刺さる悔しさ、キュッと締め付ける想い、なんでやねん!と突っ込みたくなるストーリーなど、おそらく誰もが経験している人生が9割。

しかし、じゃあ今までの話をしてよと言われると、変にドキドキしはじめ、何から話せばいいか頭ぐるぐる回るだけで、自分を語る=窮屈な感覚に陥るばかりでした。

どちらかといえば、他人の話を聞いてアドバイスする側。いいなと思った他人の言葉を頭の中で黙々と分解し、次の挑戦への構造を描き、ひっそり始めるタイプのため誰かに自己表現をする術は捨てて生きてきた経緯があります。

なぜ文に向き合うのか?

表現が苦手な私が、なぜ不特定手数の方が見るnoteに挑戦しようとしているのか。

それは人の生死、生き様、価値観といった多様なものを目の当たりにするうち、自己完結・納得するだけの形づけはもったいないと感じたことが1つ。

記憶は記録しなければ、失うとき辛いと気づいたことが2つ。

そして、ひどい文でも、誰かの何かのアイディアエッセンスになるなら、という希望から、自分の苦手に向き合いたいと思ったのです。

特に記憶とは、泣けるほどの感動や煮えくり返るほどの怒りのイベントがあっても、時と共に記憶がすり替えられ、生涯1回、2回思い出すか出さないかのことがあります。

その時大切だと思い写真に収めても「あれ、これなんだっけ?」と記録消去、データが隅に追いやられる始末では、私を表現できるのは自分の脳機能次第になってしまいます。

何かで記録が難しくなってから自発的に記録の場を得るより、今のうちにしっかりと自分に向き合い、文で人と向き合いたいと思った次第です。

だからこそnoteに向き合うというのは、どんな状況でも自分の考えと記憶と向き合える、文章で自由にベネフィットを得られる、という自己表現が下手な私にとってワクワクする環境なんです。

今後の私

さて、僧も驚く三日坊主な私が文章を書くぞ!というのは、一つ自分の人生の転換期とみています。

そこでまずは、月に最低3本は書いて自分の様子を見ようと思っています(週1本と言わないとことが自分らしい)。

テーマは、これまでの経験、得意分野、大好きなことを軸にしようと考えています。

キーワード例:海外生活、語学、海外営業、途上国、海外ビジネス、政治経済ニュース、動物、野球、クスリ笑う世界の話題、海外大学院、ソーシャル問題など

徒然なるままに自分の考えを書くだけの日、市場調査業務や大学院の経験から事実に基づいた情報提供する日など、内容にON/OFFを設け自由な発想を心掛けたいと思っています。

というわけで、note愛好家のみなさま、ブログ大好きなみなさま、noteはじめてのみなさま、どうぞ末永くよろしくお願いします!

チョコラ


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