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母は強し、母は捨て身

もう12年前のことだが、
毎年、息子の誕生日が来ると思い出すことがある。

明け方 初めての陣痛に悶えながら産院へ。
お昼頃、息子は産まれた。

夫は入院には付き添ってくれたが、
どんどん狭まる痛みの間隔に、
冷や汗をかくわたしの横で、
しばらくすると、ぐっすりと寝ていた。(怒)
そして、出勤時間が来るとむっくりと起き、
じゃあね、と陣痛室を出て行った。
なんかひとことあるやろうがーー
(看護師さんがいたから恥ずかしくて、と後日談)

やはり、こういう時はお母さんだ。
本当は5時くらいから呼びよせたかったが、
初産は時間がかかると言われたので、
まだ早いかと我慢、とうとう7時に電話する。

もしもし、お母さん。
明け方、産院に入ったよ。

出産予定日のちょうど1週間前だった。
朝の日課、夫婦でのウォーキング中に、
田んぼの畦道で電話を受けた母は、
父が今まで見たこともないような、
競歩選手並のスピードで家へ戻り、産院へ出発した。

母が到着するころには、
明け方、横で眠る夫に腹を立てていた
あの頃の痛みは、鼻くそくらいのもんやったんやと
絶え間なく襲ってくる、痛みのウェーブに
ゔぅーーゔぅーーーとうなっていたわたし。

痛みはどこがピークなのか、
このままでは耐えられる自信がない、それに眠い。
もう、母がそばにいるかどうかなんて
どうでもよくなっていた。笑笑

分娩室に入ってからどのくらい経ったのだったか、
なかなか赤ちゃんが出てこず、
心拍が弱まったとスタッフがバタバタ、
急遽、吸引することに。
母は分娩室を出され、
最終的に、わたしは助産師2人に馬乗り?され
お腹を全体重をかけて、
ギュウギュウと押されることになる。
あーだめだ、もう気絶するわーと
意識が遠のく間際、
この世のものとは思えない爽快感を味わって
生き返った。
無事に出産できたのである。

母は心から喜んでくれた。
そして、すぐに夫に電話で知らせてくれた。

電話口で、
ありがとうございます、
ありがとうございますって泣いてたよ。

いやいや、わたしにありがとうでしょう!
(まっ、いいか)

父や弟も順に駆けつけてくれ、みんなで
小さな小さな息子に目を細めた。

無事に孫との初対面を果たし、
長い1日やったねーと、
父や弟と帰路につこうとした母は、はたと。

あれ?わたし、車どうしたっけ?

わたしの出産予定が近づくと、
少し実家からは距離があるからと、
父を助手席に乗せて、何度か産院までの道を
往復で走り、準備していた母である。

しかし、焦ってしまったのだろう、
運転しながら自分の位置がわからなくなり、
えいままよ、と目についたコインパークに駐車、
そこからタクシーを拾って産院に駆けつけたらしいのだ。

どこからタクシー乗ったと?
えーっと・・・

それから父と弟と3人で、母の記憶を頼りに
自家用車を探しまわり。
やっと見つかったのはいいが、
とあるコインパークに、あるまじき方向で
2台分をまたいで駐車されていたため、
(ほぼ横向きだったらしい)

どうやったらあんなとめ方ができるとか?
それに、オレとあんだけ、
何回もここまでの道も運転しとったのに。

呆れ果てた父が出庫するのに、
相当難儀した笑笑、というのが
わたしが母親になった日、
ばあばになったばかりの母に起こった
語り草の顛末だ。

この話をするたびに、
おかしいやら、嬉しいやら。
その時の必死で、我を忘れた母の気持ちを思い、
涙が出てきてしまう。

物凄いスピードで田んぼ道をかけていった母も、
パニックになり車を乗り捨てた
(一応駐車してるが)母も、実際は見ていないのに
なんだか目に浮かぶのだ。

母は強し。母は捨て身。
わたしもそんな母になれたらいいと思う。



#エッセイ #コラム #出産 #母のこと
#母は強し

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