見出し画像

不安の正体

こんばんは。

青井ベリーです。最近ネット上で使う名前を変えました。全く1から考え決めたわけでもなく、前に使っていたことがある名前です。

その頃は、また創作活動を再開しようと意気込み、とあるコミュニティに参加させて頂いていました。でも足元不安定だった(ことにあまり自覚なかったので本当にヤヴァイ)のもあり、うまく継続することができませんでした。そしてその場所を離れ、いろいろあって今に至ります。


継続できなかったことは、わたしにとっては急所に当たるようなもので、えぇえぇ、クリティカルです、とてもダメージです。オーバーキルもいいところです。

「あぁ・・・また続かなかった。」

こうやってわたしはどんどん自信をなくしていきました。いろいろ試して、これ違う!これも違う!となっても全く気にしなかったのに、気付いたらすごく気にするようになっていた。そんな時期に差しかかっているんだろうと思っています。

チャレンジに寛容な世界ならば、まだ笑い飛ばせたのでしょう。なかなかそうはいきませんでした。(現在進行形かもしれません。)

問題は山積みかもしれない。

・物事が続かない

これとはどうやって向き合っていけばいいのか、問題にしてしまうのもなんか違和感なのですが、うまく付き合っていきたいと思っています。物事が続かないことも、悩みの種なんだと思います。

できないことだってたくさんあります。心の拠り所にしているこのnote。文章だってうまく書けないんです。書きながら、本当に何書いてんだこれ!!!って思うし、読み返したら、うほほ〜なかなか恥ずかしいなこれ、とかも思いますw(でも、頑張ってたな、自分、と褒めたくなることもあります。)

下手くそなんだけれど、発信することは、いいのではないかとわたしは感じています。

下手なのにするな!!!怒

って怒り狂う人もいたりするのですが、それとこれとは関係ない。そんな声を気にしていたら、自分は何のためにいるのでしょうかとなってしまうんです。最低限の配慮はもちろん必要だと思うけれど、そこに怒りを向けられるのは何だか腑に落ちない。

むしろ、書きたいと思ったり、撮りたいと思うことは、いいことだと思っています。自分で創作するって楽しいじゃないですか。創作は、毎日生きてる生活と向き合い、自然と向き合い、人と向き合う中で生まれる。創作をすることによって自分が欲するものが増えたりするんです。そうすると毎日がすごく濃くなってくる、これは実体験でもあるので、最高な経験だと思えます。(最悪だーと思うことももちろんある。笑)


今わたしにある不安は、年齢が変わったことによって出てきているものでもある。ライフスタイル、物事の考え方、いろんなものが変化しているから、わたしはこのままでいいんだろうかと不安になり始める。

「なんとなく」が通用しなさそうなこれからの毎日に、わたしはどうあるべきかを本気で考えなければいけない。むしろ遅すぎるのかもしれないけれど。過去を悔やんでも仕方がないし、気付いた時が1番早い。

過去に受けた傷は今なら癒せるし、過去の経験から今に生かすことが出来る。

過去の自分が、「物事を論理的に考えることができず本質も理解できていなかった」のなら、今の自分が「物事を論理的に考え本質を理解し、アクションを起こす」といいと思っている。

自信が出たらやるとか言ってる時間なんてない。考えて、いろんな手段で考えて、捻くれている暇もない、人生は一度きりだから。



過去の自分は未来に何も積み上げられなかったのか


人生は、いろんなものが積み上がったり繋がったりして出来上がっていくものなんだなと、思った。

仕事だって、いろんな経験をしてスキルを身に付けて、そのスキルとスキルを掛け算してさらに新しい力を発揮したりする。


じゃあ過去のわたしは、何かを積み上げることができたのか?
ふとそれが頭をよぎった。

わたしの人生って、、、変だ。

それしか浮かばないw

ふざけてるわけではないんだけど、本当にそう思ってしまう。


あまり過去のことをペラペラ話す気に今は到底なれないのだけど、長い間、体のこと、人生のこと、自分の価値観のこと、ちゃんと話すことができなかったのは事実。

恥ずかしくて話せなかった。
自信がなくて話せなかった。
何かを成し遂げていなければ、話す権利はないと思っていた。
(今でもたまに思ったりする。)

これは、自分を否定していることだと思った。自覚は本当にある。
でもだからって全てを話したいとも思わないし、話そうとも今はならない。

でも出来ることはやりたいから、今また少しずつだけど始めた。



経験したことなら、話せる。

生きているのなら思うことはある。

幸せになりたいと思うから、自分の趣味やワクワクに時間を使う。

そしてこの好きなことで、同じような価値観の人と繋がることができたなら、それはとても楽しいだろうと思う。



攻撃的な場所がなくなることはないかもしれないけど、自分が欲しい場所を広げることは出来る。それが何かに浸食されていっても、その時はまた自分の場所を広げればいい。


過去の自分は、種は撒いた。確かに積み上げる力はなかった。


今自分がやっていることを、考え抜かず、なんとなくでやっていたのだろう。それか、考えたつもりになっていたか。目の前のことから逃げていたこともたくさんあると思う。

そして、自分を本当の意味で可愛がり、育てることもできなかった。攻撃されても、こんなもんだと、自分を守ることをしなかった。

だから、今見れば、わたしは未来へ積み上げることはできていない。


これも事実で、受け入れなければ、前に進めない。だから受け入れて前に進む。自分を責めたりせず、もういいよって前に進む感じ。お疲れ様でした。






不安はごまかしても消えることはない。

そして不安は自分を成長させる。

不安が本当の自分を目覚めさせる。

不安と友達になれたら、また新しい場所へと進むことが出来るんだと思う。






「好き」と「嫌い」


「不安」と「嫌い」はわたしの中で混同しやすいものだった。

新しいことをしようとしているから、「不安」だと思ってるんだな。
それから逃げたらダメだ、初めてなんだから不安なだけ。
そうだよね。

って自分に言うことがよくあった。
「嫌い」の感覚が鈍っていたから、「嫌い」がわからなかった。
「嫌い」なものを「不安」とし、無理矢理受け入れようとした。

「嫌いだから嫌、やりたくない」という自分を無視していた。

やりたくないなんて、わがままになっちゃうよねって自分に思っていたけど、嫌いなら嫌いなんだからやる必要ないと、やっと自分に言うことができた。




「好き」と「嫌い」

わたしにしばらく欠落していた感情。ようやく取り戻し始めた。

自分に自信がなくなると、主張することができなくなり、気づけば自分の感情なんて無くなっていた。


自信がなくなる要因は、きっとたくさんある。自分だけが悪いんじゃない。何かを責めたりはしないけど、自分だけを責めるのはもう辞めよう。




不安と生きること


なぜ不安になるのか

今までわたしは何をしてきたんだろうか

何もできなかったんじゃないだろうか

これからわたしは何をしていくことが正解なのだろうか

自分に自信がないから、もう何も出来ることはないんじゃないか

このまま何も成し遂げることなく、死んでいくのではないだろうか



いろんなことが頭に浮かぶ。

でも、不安を消すことはできない。

そんな都合のいいことはできないようになっているのが人生の仕様。


だから不安と一緒に生きることになる。
もちろん、不安でい続けることは、精神衛生上あまり良くないのだけど、このネット社会、たくさんの生き方があることに気づく。



「何かを成し遂げなければ生きてる価値なし」
そんなことはなかったようだ。

「自分に自信がないなんて何もできない」
これも違ったようだ。わたしは今、自信に満ち溢れているわけでもないけど、こうやって文章を書き、また発信の幅を広げようとしている。

今までの話も、少しずつしたいとも思うし、自分でちゃんと会話をしたいとも思っている。偽りの自分で生きても、生きた心地がしないことを経験してから、価値観がアップデートされていく。いいこと言ってるけど、薄っぺらい人生みたいなチグハグな人にはなりたくない。

できなかった過去のことは、今から作り上げて積み上げていけばいい。それでいいんだと自分自身が許さない限り、何も積むことができない。

最初から自信なんてなくていいから、自分がいれる居場所を少しずつ増やして、そして好きな自分に近づいていく。チャレンジすればみっともない自分にも、惨めな気分になる自分にも出会うと思う。それで泣きたくなったり、辞めたくなったりもすると思うけど、なんで自分がこうやって書いたりして誰かに読んで欲しいなって思うんだろうって考えてみる。

自分は人の命を救うことはできないけど、1日1日の、毎日ってやつが、生きるってことが、実はすごく楽しくて、さらにこの世の中にはかわいいものも、綺麗なものもたくさんあって、知り尽くすことのできないほどのものや景色、人で溢れているんだと気づく。そして人の存在は、人に影響を与えることが出来るということに気づく。希死念慮、死にたいと思う日々に自分のいろんなことを諦め、悲しんでいる人がいることにも気づく。助けが必要だけれど、なかなか届かない、あまりにもいろんなことが絡み合っていることに気がつく。

そんな世界で、何もしないより動いている方が自分にあっているんだと思ったから。何もしないことだっていい、わたしは何かしてないと、わたしが不安になってしまう。わたしは未熟な人間だから、ダメなこともたくさんあるし、助けられてばっかり。

勝手に、やらなきゃって思うだけ。しぬほどツラいならやらないとは思うけど、楽しいって思ったりもするから。これだけいっぱい思うことが出来るのも、こうすれば長所になるから。ただ生きて、価値観のことを話したりしなければ、こんな性格はお荷物になって、ただただ苦しくて自分を嫌になってしまうから。



今時っぽく、何も興味ないとか、最先端のこれしか興味ないとか、人の考えとかどーでもいいーとか、そんなことは決してなかった。物心ついた時からわたしは、変だった。

見た目が派手でも中身は人間らしかった。故に馴染めなかった毎日がある。ここには闇が隠れている気がしてならない。(わたしの闇というよりかはいろんな人に当てはまる生きづらい人生観みたいなの)


これらが、不安の正体。1つだけなんかじゃない、今までのいろんな出来事が自分を不安にしてくる。どう昇華して次にいくか。

全てをどうにかしないとと思わなくてもいいから、どっしり構えて、肩の力を抜いて、笑って生きたいもんだ。

まだしばらくは、自分のこと嫌いになったり好きになったりなんだろうな。
一生だったらどうしよう。



いつかに、続く

読んで頂きありがとうございます。