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子育てに苦戦している話

昨年2023年6月のもうすぐ40歳になろうとしていた時期に
大人の知能検査WAIS-Ⅳを受けた。

理由は子育てに苦戦していたから。
苦戦と言うと少し違うかもしれないけど
とにかく疲労が半端なくて
「え?みんなどうやってるの?!」と四六時中思うほど、大変だった。
(過去形だけど今も、、笑)

わたしはアルコール依存症の父を持ち、機能不全家庭で育った影響から色々な問題が出て
20代中頃から精神科へ通うようになったのだけれども、
アダルトチルドレンならではの生きづらさと
とにかく体調を崩すことが多いことが10代からの悩みだった。

先生と色々な話をする中で
虐待を受けると脳が萎縮して変形する、脳の活動が鈍くなって発達障害と見分けがつかない状態になる事があると言う話を聞いた事があった。
そして、何年か経った時のカウンセリングで「あなたもそういうとこあるよね」と言われたのが、わたし発達障害の特性があるんだ!と知った一番最初だった。

後々主治医から、
私の父も発達障害の特性が強いと言われたので
遺伝的なものと後天的なものが混ざり合っているのかなと受け止めている。

ただ言われる前までは
理系はとてつもなく苦手だけど、
勉強は普通程度にはできるし、
これまで友達もできてきたし、
職場や習い事などで認められる経験も何度もあって
ん?発達障害…?と、思う反面、

こだわりの強さや
マルチタスクが必要な業務のミスがとんでもなく多いとか
できることとできないことの差が大きくて
本当の自分はどれなんだろう?と思い悩むことがあったので
納得や安堵という気持ちも出たり。

とは言え、
発達障害の特性が強いと分かったところで
現実の生活では
自分で工夫するしかどうしようもないって言う言葉に尽きるので
発達障害の知識を深めようと本を読んだり調べたり
気が済むまでやったあとは基本的に放置していた。

困りごとはあるけど、自分1人ならなんとか誤魔化して生活することができる。


ところが子どもが生まれたらそうはいかない。

まず寝れない。
わたしはとにかく疲れやすく、
ロングスリーパーなので睡眠命なのだが、まぁ寝れない。
娘が3歳になった今も、毎晩何度か目が覚める。

睡眠が少ないと、疲労で身も心もすりきれて
色々な弊害が起こり
あっという間にノイローゼ状態になるのが関の山。

知能検査と主治医との面談のおかげで
睡眠不足で陥る負のスパイラルが特性によるところが大きいと知り
ほんの少し、肩の荷が下りた。

私の何かがおかしいから
ちょっと寝不足なだけでダウンするんだと
心の片隅で思い続けて生きてきたので
頑張りや気合いの問題じゃないというのは
大きかったと思う。

現在は寝不足でしんどくなってきたら
処方してもらった睡眠導入剤や抗不安薬を飲んで、ぐっすり眠れる日を確保できるようにしている。

そしてその甲斐あって、心身は割と安定していると思う。

私は先生の意向で
知能検査のスコアみたいなのはいただいておらず
代わりに検査と面接での内容をまとめたレポートを頂いた。

私自身も発達障害かどうかが知りたかったわけではなく
自分の得手不得手が知りたくて検査を受けたのだ。

その結果を見て、苦手なところをフォローできるようにして日々の困り事を減らす事が目的だったので
診断書ももらっていない。

不注意傾向が強いとのことだったので
ADHDの特性と
こだわりの強さの事も言われたので
自閉症の傾向と両方持っているらしいということしかわかっていない。

なので、いまいち全体像が見えておらず
困りごとが出たらこじらせる前に主治医に相談へ行くようにしている。

先日の受診では
アンガーマネジメントができなくて困っていると相談しに行った。

娘に自分の怒りを撒き散らしてしまったことをずっと悔やんでいて
3ヵ月経っても頭から離れなかったのだ。

この時の出来事としては
起きられないくらい体調が悪かった日で
最低限の事だけして、ずっと横になっていたという状態がベースにある。
(確か偏頭痛で倦怠感、めまい、嘔吐、腹下しがあった気がする)

土日祝は基本的に私が1人で娘を見るため
私が遊んであげなければ1人遊びをせざるを得ない。

何度もママ遊ぼーと誘われた記憶がある。
何度もごめんね、今日すごくしんどくて起きられないんだと言った記憶もある。

わたしは意識が遠のき一瞬寝てしまったのか、次に起きた時は服がびしょびしょになっていた。
お昼ご飯の味噌汁の中に
おかずやお米をぐちゃぐちゃに混ぜて遊んだ器を寝ている私の上にひっくり返していた。

怒鳴り散らしそうになる自分をグッとこらえ
黙って片付けた。

娘が何か言ってたと思うが全く記憶にない。
自分の服も着替えた。
かけていたブランケットも水洗いしてお米などを取り、洗濯機に入れて回す。
部屋は足の踏み場もないほどおもちゃで散らかっている。

私は散らかっていたり、汚れているのがとても不快で我慢ができないというこだわりが強いので、
この時の怒りは本当によく我慢したなと思う。

それで気が緩んでしまったのだろうか。
また横になっていたら、娘が手洗いに使う踏み台を持ってきてインターホンで遊び始めた。

我が家のインターホンは
薄型で受話器がないタイプのもので、通話ボタンを押せば外の人と話せる。
通話ボタンを押して、キャーキャー騒ぎ始めた。

放っておくとご近所迷惑になる。
起きて止めなければ、、と言う思いと
もう動けないって!!!しんどいって!!!と言う激しい感情とでぐちゃぐちゃになっている時に

「ママー!これどうやって使うの?ママー!どうするの?ママー起きてー!」
と話しかけられた。

その時に突然我慢の糸がプツンと切れて
ふらつきながらやっと立ち上がった私は
娘が遊んでいるインターホンの通話ボタンを拳で殴りつけてしまった。

しっかり指でポチッと押さなければ通話オフにできないので、
少なくても3回は拳で叩きつけたと思う。
ものすごい音が何回も響き渡ったし、「ママママママママうるさいな!!!」と怒鳴りつけたので、外にも聞こえていたかもしれない。

そのまままた横になったのだけど
いつもならワンワン大きな声を出して泣く娘が
部屋の片隅で声を殺して静かに泣いていたのが見えた。
こんな泣き方は初めてだった。

わたしは我に返って、
ごめんね!大きな声出して、
インターホン叩いてごめんね!と謝り
娘を抱きしめた。
謝った。
だけど、やってしまった事は取り消せない。
自分もそうやって傷ついてきたのに同じことをしてしまったと罪悪感でいっぱいになった。

泣いていた娘が少し落ち着いたので
もう一度謝り
どうしてもイライラの気持ちが抑えられなくなったこと。
娘の事が嫌いでやったのではないこと。
娘の事が大好きなことを伝え
こう言う時どうしたら良かったかな?と聞いたら
「やさしく言ってほしかった」とのこと。
イライラしても、やさしく言えるように頑張るねと伝えてこの日は終わらせた。

私の中で
謝るだけでは済まないのではなかろうか?
娘の心は大丈夫だろうか?
虐待ではないか?
親のくせにわたしは何をやっているんだ。
とずっと消化不良で過ごしていた事を主治医に伝えると

わたしの抑えられない激しい怒りは
特性の要因が強いそうで
特性由来で怒りを抑えられないのは最後の課題とも言われるくらい難しいという話をしてくれた。

今回の件は「こだわりの強さ」にあると言われ
元も子もないのだが、諦めなさいと言われた。

この諦めなさいは、改善しようとするのを諦めなさいという意味ではなく
こだわりを捨てて、怒らなくて済むようになるのを目指す事を諦めなさいという意味。

そして、家庭内の事は適当にしなさい。
趣味などでとことんこだわり抜きなさい。
自分の時間、自分の世界を持ちなさいとアドバイスされ。

小さな子供がいて
自分の時間を持つのは至難の業だけども
何とか知恵を絞り出して
家庭内の事にこだわらなくていいようにしないと子供がかわいそうだななどと思いながら帰路に着く。

子供を持つまでは
子育てなんかできないよー。
子供苦手だからいらないよー。

などと無責任な事を言っていたのだが、
子供がいる以上、できないなんて言ってる場合じゃないと自分に対して強く思う。

特性があっても
言い訳する暇があれば自分なりに創意工夫して
一生懸命やりきろうと思う。
そのために受けた知能検査なのだ。

そう思うほど、子供のことを大切に思っている。
子供が苦手だった自分には想像できなかったけど
子供にはとにかく幸せになってもらいたい。

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