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毎日1キロ痩せていく病気は?
ふと気がついたら何だか痩せている。普通の生活をして特にダイエットもしていないのに。いつもだったら喜ぶくらいなのですが、さすがに1週間に1キロ痩せていくのはおかしい。
検索してみてもガンか糖尿病としか出てきません。
そして意を決して行った一般開業医GP。血液検査の結果はDiabetes糖尿病でした。祖母も母も遺伝の糖尿病、いつか来るのかもと思ってたら今回のストレスが引き金になり出た模様。
普通の人の血糖値の数値は5-8molなのにその時の私の血糖値は23mol😱疲れやすいですか?と聞かれましたが、疲れすぎていてよくわかりませんでした。当時、喉がはかなり乾いており夜中に喉が乾きすぎて起きることが多かったです。そして眠れない日が続いてました。
ここら辺も糖尿病のチェックポイントと言われました。
長女妊娠時に妊娠糖尿病と診断され血糖値を測った日々が思い出されます。出産後2ヶ月で治ったと診断されほっとしたのも束の間でした。
お酒もタバコもやらないしジャンクフードも甘いものもあまり食べないし炭水化物も家族で1番摂らないし市販のジュースも飲まない私がなぜ…と1週間ばかり落ち込みましたが遺伝を受け入れるしかありませんでした。
この時は40歳も超えていたので2型糖尿病と診断されていたのですが、出された薬を飲んでも体調は悪くなるばかりで血液検査の数値も悪くなるばかりでした。
専門医の予約が半年くらい先だったため会えず、とりあえずGPが予約してくれた公立病院の栄養士セッションに行ったところ、そこが大きな糖尿病専門クリニックで、私を見た栄養士がいつからなの?薬は何を?などと聞いて、顔を曇らせスタッフルームへ行ってしばらくかえって来ませんでした。
どんどん痩せて行っていたのもありその時は既に通常体重から8キロほど痩せていたので異様ではありました。
かえって来た栄養士が、あなたはすぐに専門医と会った方が良いと予約日を教えてくれました。急ぎのようです。
その後血液検査結果で免疫疾患の1型糖尿病と診断されました。
インスリンと言う血糖値を調整するホルモンが出なくなってしまい、注射で外から一生入れて行かないといけない病気だそうです。
倒れそう。
この診断が出るまで2型の薬を飲み続けた3か月、ずっと吐き気と気持ち悪さに悩まされていたので、薬をやめられるのはありがたいけど、一生インスリンを打たないといけないらしい。感情が難しい。
今でも忘れない告知の日。
私は家族でゴールドコースト旅行中でした。
ドクターからの電話は
「1型糖尿病でした。身体からインスリンを出せてないので3食ともにインスリンをうつこと、今飲んでる薬は身体を害するのですぐにやめること。」
害する薬出さないでください・・。耳を疑いました。
1型糖尿病は糖尿病全体でも10%の割合。
生活習慣の影響による糖尿病の2型糖尿病とは異なり、1型糖尿病は生活習慣とは無関係の自己免疫性疾患などが原因とされ、原因は異なるが同じ糖尿病の病態を示す。膵臓にあるβ細胞は、血糖値を下げる唯一のホルモンであるインスリンを分泌している。ところが、何らかの原因によりこのβ細胞が破壊されてしまうと、インスリンの分泌が極度に低下するか、ほとんど分泌されなくなり、糖尿病を発症する。
だからか…だから食事療法でも薬でも全く血糖値が落ちなかったのね。ドクターは更に1日に4回インスリンをうつようにしたいと話してました。とりあえず旅行から帰ったらすぐに病院に電話してエデュケーターと会うようとのこと。
低糖質パンなどは食べずに普通の食事でおやつも夜食も食べなさいと強く言われ電話は終わりました。
確かに当時2018年1月、私は既に10キロ痩せていました。早く教えて欲しかった・・。そりゃ食事療法でも改善しないわけです。疲れた。
なぜ2型と思ったのかは、通常1型糖尿病を発症した場合はもっと進行が早く具合が悪くなるはずとのこと。
私は血糖値はすごく高かったのですがそこまで自覚症状もなかったので、ゆっくりと進行する緩徐型1型糖尿病だったのではと言われました。
そこから生命維持の特効型インスリンと食事の時にうつ即効型インスリンを1日合計4回ほど注射をうつ生活が始まりました。
6年後の今は既に受け入れて普通に暮らしていますが、当時は全く受け入れられず精神的に危険な状態が続き、子育てもできなくなったため2019年から少し日本の実家に帰ることを家族で話し合い、私と子ども2人だけで帰ることに。
その後コロナでオーストラリアが鎖国してしまい、2年3か月いることになるとは誰も予想がつきませんでした。無事に帰れて良かった。
日本に帰る2019年にも不思議な体験をしたので次回はその話を書きますね。
※私の別ブログ(ケイログ )から加筆・編集しています。
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