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「お嬢様っぽい」という言葉がきらいです

「犬好さんってお嬢様っぽいよね~」

そういう言葉をたびたび言われる。
私はその度に「ありがとうございます」と恐縮した笑みを浮かべつつも、内心では真顔で毒づいている。

「勝手に決めつけんじゃねぇよ」

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そもそも「お嬢様っぽい」とは何なのだろうか?

お話の中に出てくる"お嬢様"は、だいたいお金持ちで、広い家に住んでいて、世間知らずに描かれることが多い。

やや短絡的なイメージにはなるが、
「何不自由なく暮らしていて俗世の苦労も知らない」のが"お嬢様"のイメージなのだろう。

つまり「お嬢様っぽいよね」という言葉に含まれている意味としては

「あなたって本当に不自由なく生きていて苦労も知らなさそうでうらやましい。こっちはこんなに大変なのに。」


という意味が込められているような気がしてならない。
前半部分に込められているのは嫉妬の感情、
後半部分はともすると、「私は不幸ですけどあなたはそんな不幸も知らないんですね」
的な不幸マウント要素も含まれていそうな気がする。


なぜ他人から「何も苦労していなくて、不幸も知らない無知なやつ」呼ばわりされなければいけないのだろうか?


ここでお嬢様っぽいと呼ばれる原因を考えてみる。

人は見た目で他人を判断するらしいので、おそらく私の雰囲気等でそう断じたのだろう。

主に話し方やふる舞いだろうか。
たしかに周りの環境に恵まれたおかげで、ある程度の社会的に好まれるマナーや姿勢は身につけてきた。
ただこれは後天的に身につけようと思ってできるものだと思うし、私が知っているのも社会で過ごす上で必要そうな、最低限かつ摩擦を起こさないで済むようなマナーだけである。
高級レストランでのナイフとフォークの持ち方等は別に知らない。

あとは金銭的に苦労してそうか否か?
こちらは親が「金銭的な苦労はさせたくない」という方針でがんばってくれたおかげで、自立するまではあまり苦労をしなかったとは思う。大変有難い話だ。

ただ、じゃあ"お嬢様"のように蝶よ花よと育てられ、じいやがいたわけではない。
そもそも私の家は10数年来の母子家庭なのだ。

母子家庭ってお嬢様のイメージからいちばん遠くない??

そう思うのだけど、私が他人にあまり公言していないせいなのかもしれない。
(そもそも家庭事情を他人に話す必要ある?って思う)

母は私のためにとても頑張ってくれた。
そこはとても感謝しているし恵まれたところなのだろう。

ただ、歪みもあった。
もともとヒステリックなところがある母は全力で私にぶつかってくることも多くあったし、鋭い言葉の刃をぶつけてきたり、物理的に物を投げてくることもあった。
その度に感謝と辛さと恨みが入り交じった感情を抱いた。
それが10年以上続いたのだ。

これって「苦労」のうちに入らないのだろうか?
いや、別に苦労に入れてほしいというよりは、

無造作に投げつれられる"お嬢様っぽい"に込められた「何も苦労を知らなさそうだよね」っていう条件には当てはまらないんじゃないの??って思う。

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人は他人を評価するときに、何らかのカテゴリに他人を当てはめることで、その人を判断してしまうことが多い。

"お嬢様っぽい"+◯◯さん
"真面目な"+△△さん
"大人しい"+□□さん

というように、既存のイメージがある形容詞をつけてしまえば、なんとなくその人のことをわかったような気になってしまうからだ。

もちろん、すべての人をそれぞれに表せる言葉なんてないから、ある程度イメージを共有できる形容詞が必要な場面はあるだろう。

ただ、そのレッテルを一度貼ったことでその人の人生を安直に決めつけていないだろうか?

勝手にレッテルを貼ってカテゴリにわけて満足して、その人がどんな思いで何を考えているのかまで、考えようともしないことはないだろうか。

人にはそれぞれの生きてきた背景がある。
それを容易く理解したつもりになって、勝手に評価してしまっていないか、常に振り返る必要があるのではないだろうか。

決めつけで判断されてしまうのは、とても悲しいし苛立たしいことである。
じぶんも他人に同じことをしてしまっていないか、きちんと自省できる人が増えれば、
この世の生きづらさとかが少しはマシになるのかなと思うのだ。


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