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記憶の彼女

「あー、迷う」
 手狭なワンルームの真ん中で、頭を抱えて唸る。
 もう消えないのであろう汚れが所々に目立つテーブルにノートパソコンが置いている。液晶画面には有名ピザチェーン店のホームページが開かれていた。
「チーズたっぷりなのはマストだとして……」
 一枚に二種類のピザを選べるタイプ。
「きのこ……シーフード……」
何度もぐるぐると往復したページにももう見飽きていた。脳に刺さるメニューがない。すでに諦めようかとも思っていた。
「もうパスタとかでもいいか……」
 半ばなげやりにページを移動する。無気力にマウスのホイールを回す。
「ナポリタン……」
 並んだメニューの一つ、よくあるメニュー。ふと目が留まった。
――ピザはね、ナポリが発祥なんだって――
 三年前の八月。彼女の言葉。近くにピザ屋ができたからと二人で出かけた日の会話をふいに思い出す。

「ナポリピザとか言うもんな。マルゲリータはイタリア統一を果たした王女マルゲリータのナポリ訪問を歓迎して献上したのがはじまりとかってさ」
 聞きかじった知識を自慢げに言う。
「へえ、それは初耳」
 彼女が答える。
「高校の時、世界史の教師が言っていたからな」
「どうせ肝心の授業内容は忘れているくせに。変なことばかり覚えているよね」

 くだらないやりとりを、三年たっても覚えている。三年の間に彼女は二度変わった。記憶の彼女は、頭の中で劣化した。
「覚えているもんだな」
 別れたあとで彼女ができて、思い出をつくるたびに記憶の彼女は少しずつ消えた。綺麗なものだけ残って、最高の彼女だったように思うことが増えた。
「変なことばかり覚えているもんだな」
 パスタはやめた。マルゲリータだけ、久しぶりに食べよう。

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