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54.出身地で人を判断する親



人生初のマッチングアプリを使って対面でお話しをした人の感想を母に電話で伝えると、

母:「相手の出身地はどこなん?」
私:「群馬」
母:「微妙やな」(話が面白くなさそうという意味)


と言われました。


私は関西出身で、母は「関西人以外は話が面白くない」と思っている関西至上主義の人間です。


大学入学を機に上京したから分かりますが、確かに関西にいた時の方が話が面白い人は多かった感覚があります。



ただもちろん例外もあり、関西以外の出身の人でも話が面白い人はいました。


だから出身地で人を判断することは失礼ですし、様々な考えをもつ人と交流する機会を自分で踏み潰すことになると思うのでとっても勿体ない。


ここまで正当な意見を言っていますが、母の偏見に強い反感を抱いたのは私も心のどこかで「たいてい関西人が一番話がおもろい」と思っていたからかもしれません。


そんな自分のダメな部分を母の言葉によって思い知らされたので、反感を抱いたのかも。



いずれにせよ、出身地や見た目でその人にレッテルを貼るのはやってはいけないこと。
私は「外面」よりも「その人の中身や個性」をしっかり見つめられる人でありたい



そう思っているので、私も含め人間はどうしても出身地などの「外面」でレッテルを貼ってしまいがちですが、その人の考えていることなどの「本質(中身)」と向き合うことを大切にしていきたいです。


日常の些細な出来事でも、違和感を感じたらなぜ違和感を感じたのかを深掘りすることで自分がどういう人でありたいかのビジョンが見えてくると今回のnoteで改めて実感しました。


普段はスルーしてしまいがちな小さな違和感や感情の動きを1つ1つ丁寧に掬い続けることは、「自分のことをよく知る」上ですごく大切なので、これからもnoteを使ってアウトプットしていきます。

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