見出し画像

予期せぬ交差を慈しめてこそ

最近、どうも心が死んでいるような感覚がしていて、もどかしい気持ちを引きずる日々が続いていた。その理由は「トキメキ」の不足だ!と、巡り巡って映画館へ飛び込んだ。場所は一番好きな場所、日比谷。そんな今日観た映画がこちら。


主演は役所広司さん。
全ての配役がベストマッチしていた(子役は可愛かった)。


PERFECT DAYSと言うよりもBEAUTIFUL DAYSといった方が良いのではないか、と思うくらい美しい世界観だった。

トイレ掃除、という一見偏見の目に合いがちな職業を自ら愛し、便器と自分を日々磨く寡黙な紳士。これだけセリフが少ないにも関わらず、全ての感情を醸し出す役所広司という役者の素晴らしさに感動した。

「今は今」、この時間をいかに良いものだと感じ、日々を愛しめるかというのは自分次第であって、選択肢を広げようとするからこそ心が渇望する。反対に言えば、洗礼された日々を過ごすからこそ他人から見たら狭義的な生活だったとしても、自分は満ちた日々を送る事ができる。
どちらが良い悪いではなく、様々な価値観を持って生きることそのものが自由であって、誰かが誰かの人生をとやかく言えるものではないのだ。

また、この男性の生活が「PERFECT」だと言える背景には、他人との人生の交差があるのだと思った。誰かとの思いがけない出会い、いつもの人のちょっと違った言動、いつもあの場所で出会う人と、今日は別の場所で偶然出会った…そうした、他人との何気無い人生の衝突が、自分の感性を刺激して、今日という人を“木漏れ日“のように唯一無二の記憶にしてくれる。
並行的な波の立たない関わり合いではなく、衝突し、揺らぎを生む衝突。それがあるからこそ、PERFECT なのだと言える精神状態は朗らかだと思った。

恐らく墨田区、スカイツリーの麓、
東京でありながら、時代の流れに置いて行かれることを選んだような家に住み、幾つも前の時代の世界線で生きていることを感じながらもそれを選び続ける。
たとえそれが、大切な人にも理解してもらえない、切ない選択だと分かっていても。

だからこそ、こうした、何気無い日々が如何に愛おしく感じられる。
そんな、小さな日常の喜びを感じ取れる感性こそが、今私たちに問われている豊かさなのではないだろうか。

最近の自分の心がなぜ死んでいたのか、
ヒントは掴めこそすれ、具体的な何かの行動指針は得られていないけれども、今はそれでも良いのだと思えるような気がする。

この映画をスクリーンで観れて良かった。
機会があれば、また劇場で観たい。

明日は、どんな細波が立つのだろうか。

この記事が参加している募集

映画感想文

サポートいただけるととっても嬉しいです! ますます家事代行NPOとnote更新頑張れます。