見出し画像

【海外大学院での学び】イギリスと日本でこんなに違う?

学生さんの質問に答えるシリーズ
前回に続いて大学院についての質問

海外の大学での学びについて詳しく教えていただきたいです。

僕の留学経験は日本の大学院時代にタイに交換留学をしたのと、一度就職してからイギリスの大学院に行った2回の経験があるが、修士をとったのはイギリスだけなので、イギリスの大学院での学びについて書こうと思う。
イギリスの大学院では国際開発関連の研究をしたのだが、日本でも似たようなコースだったのにアプローチが違ったので面白かった。具体的に言うと

• 理論先行。地域研究よりテーマを優先しフィールドワークよりも理論構築を重視するので文献レビューを徹底的にさせられる。
• 日本よりも先生がドライ。論文の相談に行ける回数とかも決まっていて、基本的に親身になっては指導してくれない。
• データベースへのアクセスが豊富。日本の大学院ではありえないくらいの論文データベースにアクセスできるので収集できる情報量が違う。
• 大人数での授業が多い。ゼミとかほとんどない。

まあ大学によっても違うし、今は日本もイギリスも変わってきているとは思うけど、こんな印象だった。イギリスは割と世界各国から留学生が集まっており、修士コースは大学にとっても1年で手っ取り早く収入を得る手段なので、サービスもしっかりしているがビジネスライクなのも事実。
日本でなんの疑問も持たずに地域研究を行った後、イギリスで理論構築をする羽目になったのだが、やはり議論するとなかなか勝てないのは理論的に説明する癖がついてなかったからなのかもしれない。事例研究のみで勝つには圧倒的な知識と経験が必要になってくるのでハードルが高い。

その一方で途上国に行ったことのない北欧の学生と途上国の賄賂について授業で議論していた時「警察が賄賂を要求してくるなんて信じられない。絶対に許せない」と息巻いてきたので「警察官が給料をもらっていない国もあるんだけど、警察官個人を責めても仕方なくないか?」と反論したら「そんなやばい国なんか絶対に行かない!」と議論を打ち切られてしまったこともあるので、必ずしも皆が理論的であるとは限らないけど笑。

他には、哲学も重要視しており、ミシェル・フーコーの議論を踏まえてペーパーを書かなくてはならなくなったこともあった。「監獄の誕生」は大学時代に勉強した記憶があったが、そのベースにある哲学的思想を踏まえて議論しなくてはならず、英語で読んでもさっぱりわからなかったので日本語の本を取り寄せ、それでも良くわからず、哲学に詳しい友人に教えてもらいながらペーパーを書いた記憶がある。あれはほんと辛かった…。

一番の学びは前のエントリーに書いたけど、自分が立てた仮説とかはもう大体議論され尽くしていて、莫大な量のデータベースから拾ってくる論文を読み、その引用論文をさらに読んでいくと、大体全部証明されちゃっている。ただ、それを知ること自体が面白くて、やらされている勉強ではなく、自ら学ぶ楽しさを知った気がした。もちろん分野や国など、細かい点では研究が少なかったりすることもあるのだが、最初の仮説を立てるところで修士レベルだと、全部議論されてたりするんだよね。

大学院で学んだことがそのまま今の仕事に役に立っているかと言えばそこまででもないかもしれない。ただ、学んだ過程で得たもの、理論的思考や、物事を学術的、客観的にとらえる力などは今の仕事にも役に立っていると思う。

そしてやはり学ぶ楽しさみたいなのは日本よりイギリスでの方がより得た気がする。これは単に一度仕事をしてからだったのでより学びたい内容がはっきりしていたからかもしれない。

その後、まだ勉強が足りないと思うようになり、オンラインで国際法やテロリズムについて学んだり、平和構築の修士コースをさらにとりなおしたりするようになった。勉強は楽しいのだが、何かを課さないと自分で勉強しないので仕事しながら始めた。イギリスで勉強したのと、仕事でさらに色々な知識を身につけたのもあって、もうオンラインの修士コースはかなり楽勝で成績も良かったのだが、最後の論文は誰にも強制されてないのでしばらく放置しており、実はそろそろ始めないとと思っている…。
というわけで、今後も学びを続ける予定。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?