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人の気配を感じない街と赤い口の彼

はじめに

この記事は、私が海外を放浪していたときの話です。
教育とは関係ない話になりますが、旅先で人と人のかかわりについて感じた出来事があったので、読者の皆様と一緒に振り返らせていただきたいと思います。
今の世の中の状況だと海外に行きにくい部分があるので、旅人になった気分で読んでいただけたら幸いです。

ミャンマーの首都

ミャンマーの首都はどこかご存知ですか?
年代によっては、子どものころに開いた地図帳には『ヤンゴン』と書かれていたかと思います。
正解は『ネピドー』です。
代わったんですね。
2006年に遷都。

遷都した理由が諸説あって面白いです。

・ヤンゴンは人口が密集し交通も混雑していて、政府機関を拡張する余地が
 ないため
・侵攻を受けた場合、内陸に位置するネピドーは海に近いヤンゴンより占領
 されにくく、より戦略的に有利な位置にあるから
・ネピドーは少数民族の多い州に近く、かつ上ビルマと下ビルマの結節点に
 位置しており、国内の治安維持をコントロールするため
・当時の元首のタン・シュエのお抱えの高名な占星術師の命令によるものだ
 という説。
・高い教育を受けた国民や海外留学から帰った国民の増加により、そういっ
 た人々の多く住むヤンゴンで市民運動や革命が起こることを軍事政権は危
 惧していて、政権中枢をネピドーに移転させ政権の強い地盤とし、都市部
 で革命が起こっても、その影響を受けにくいネピドーから軍を送り、早期
 に鎮圧できるようにするため。

占星術師の命令説が真実だとしたらびっくりですね。
最後の説も、昨年、クーデターや抗議デモが起きたばかりで興味深いです。

そんなミャンマーの首都、ネピドーに行ったときの話を書いていきます。

人の気配がしない街

私がネピドーを訪れたのは2016年の6月。
遷都して10年経った年です。

ヤンゴンから夜行バスで行きました。
私以外に外国人はいませんでした。
外国人が観光に訪れるような町ではなかったようです。

早朝にネピドーの外れにあるバスターミナルに着き、歩いて中心部を目指しました。
ネピドーには観光客もあまり来ないし、住んでいる人も少ないので、公共交通機関がないみたいです。
街並みを見て回りながら歩いていけばいいと思い、ひたすら歩きました。
東南アジアを旅していて、長距離を歩くことに自信を持っていました。

街並みはどんな感じかというと、山を切り開いて新しく作った町、ほとんど国家公務員とその家族しか暮らしていない町だからか、まっすぐな道路に新しくてきれいな家や公園がぽつぽつと点在しているような感じでした。
道路脇に植えられた植物もきれいでした。

しかし、人が住んでいる町とは思えないほど人の気配がしませんでした。
整備された道路にもほぼ車が通りません。
点在している家も静かです。
早朝だったためかもしれません。
1時間ほど歩いて、数人としか出会いませんでした。
整備された道ときれいな建物がある町で人とほとんど会わないというのは何か不気味な感じがしました。

人工的な街並み

1時間ほど歩いて、少し人が増えてきました。
小学校と小さな商店がありました。
やっと人の生活を感じられて、少しほっとしたのを覚えています。

地図アプリを使って歩いていたのですが、ネピドーは他の町に比べて明らかに情報が少ないです。
なので、どこを見て回ればいいか、よくわからなかったため、高級ホテルエリア、行政都市エリア、高台にあるお寺に行くことにしました。
高級ホテルエリアは、宿泊するわけではないけど、ミャンマーの中枢の人や外国から来た政府関係者などが泊まる高級ホテルを見たかっただけ。
行政都市エリアは、一般人は入れないけど、「入れない」に惹かれて近くまで行ってみたかったため、国会議事堂前の20車線道路を見たかったため。
お寺は金ぴかでめちゃくちゃ大きいと聞いて、行ってみたくなったため。

でもその各エリアは離れていて、交通手段がない。
とにかく歩いてみることにしました。
2時間ほどかけて高級ホテルエリアに行き、太陽が高く上ったあたりで行政都市エリアへ。
気温も高くなり、飲み物も尽きてきました。
しかし、店もないし、人もいない。
1時間ぐらい歩けば何かしらあるだろう。
ない。
もう30分だけ歩いてみるか。
ない。
もう30分だけ。
何もない!
気付けば午後3時を回っていました。
高級ホテルエリアで1時間ほど休憩した以外は、約8時間歩きっぱなしでした。

歩いても歩いても何もない

これは倒れるかもしれないと思い、ヒッチハイクをすることにしました。
しかし、車もほぼ通らない。
数少ない通った車も止まってくれません。
バックパッカーがヒッチハイクしているなんて、ネピドーの人は気づかなかったのかもしれません。
バックパッカーなんて普段見かけないですし、信号がなくて猛スピードで通っていくこともあって。

ふらふらでヒッチハイクを続けて1時間したころにバイクが近づいてきました。
バイクに乗っている人に声をかけても、乗せてもらうことはできないと思いながらも、ヒッチハイクポーズ。
すると、一度は通り過ぎていきましたが、なんとこちらに戻ってきたのです。
そのバイクの彼がタイトルにある「赤い口の彼」です。

赤い口の彼

バイクを私の前に停め、ヘルメットをとった彼は、下はロンジー(民族衣装)、上はワイシャツ姿の30代後半ぐらいの男性。
首には社員証らしきものが入ったカードケースが下げられている。

やはりネピドー、身なりがちゃんとしていらっしゃる、と思いながらも顔を見ると、唇と唇の周りが真っ赤っか。口のなかも。
そして、何もしゃべらず、大量の赤い唾を道に吐き捨てる。

びっくりしたのですが、ミャンマーではよく見られる噛みたばこを噛んでいたみたいです。
噛みたばこを噛んでる人は、良く唾を吐き捨てるので、一般的ですが、ちゃんとした身なりとのギャップを感じて少し驚きました。

見た目だけでは、どんな人かわからなかったのですが、停まってくれたので、いざ交渉。
お金を払ってでも載せてもらいたい状況でした。

つたない英語とボディランゲージでお願いしたのですが、彼は全く理解できていないようでした。
国の機関で働いている方なら、英語は少しはわかると勝手に決めつけたのだダメだったみたいでした。
単語を一語ずつ言ってみたのですが、
"please"も"want”も、たぶん、"I"、"you"さえもわからなかったみたいです。
それでもニコニコしながら、私の話を聞き続けるお兄さん。
ずっとニコニコしている赤い口の彼が少し怖くなってきたところで、彼がバイクの後ろをポンポンとたたき、「乗れ」という合図。
まさかのバイクのヒッチハイク成功の瞬間でした。

政府関係機関で働いている方かもしれないので、一般人進入禁止の行政都市エリアは諦め、20車線道路だけ連れて行ってもらえるように、ネットで拾った写真を見せてボディランゲージで説明。
彼に通じたかわからなかったが、出発。
走行中は不安でしょうがなかったのですが、無事到着。
写真を撮って、あとはバスターミナルまでお願いすることにしました。
その時点で17時を回っていたので、お寺は諦めることにしました。
お兄さんも休憩中か帰宅途中だったと思えば長い時間拘束はできません。

国会議事堂前の20車線道路

バスターミナルに行きたいことをボディランゲージで伝えました。
すると、お兄さんは、英語ではない言葉で何か伝えてきます。
全くわかりませんでした。
お兄さんは、またバイクの後ろをポンポン。
私は、よくわからないまま、後ろに乗ると、バイクは出発。

そうしたら、見えてきたのは、バスターミナルではなく、金ぴかに光るお寺。
驚きました。
私が行くのを諦めた場所に、彼がおすすめの場所として連れて来てくれたのです。

ウッパタサンティ・パゴダ

お礼を言いたいのに、"Thank you"さえ伝わらない。
お寺の案内役の方は、英語がわかるようだったので、"Thank you"の現地の言葉を教えてもらい、赤い口の彼に何度も伝えました。

彼とお寺を見て回り、一緒に写真を撮ったり、お参りをしたりしました。

結局お金の交渉も何も、初めにできていなかったのですが、彼にお礼としてお金を渡しました。
すると、そのお金を手に握ったまま、彼はお寺の外に走って行ってしまいました。
「帰りも乗せてもらいたかった!」と少し慌てたのですが、十分に良くしてもらったので、バスターミナルまで行く手段を考えることにしました。

お寺の人に交通手段を聞いていると、彼が戻ってきました。
彼の手にあったお金は、キーホルダーとポストカードになっていました。
そして、それを私に手渡します。
私が渡したお金で、お寺の外にあるお土産屋で買ってきたみたいでした。

彼は、お礼のお金で、私にお土産を買ってきたのでした。
彼の親切心に感動しました。
そして、お金を渡した自分を恥ずかしく思いました。
彼は、お金のためにやったのではなく、親切心だけでここまでやってくれた。
旅をしていると、現地の方が親切心でやってくれたと思ったら、お金を要求されることが度々あったのですが、彼にはそんな気持ちは全くなかったのです。

そのあと、彼はバスターミナルまで送ってくれて、帰っていきました。

言葉も会話もない真っすぐな優しさ

結局、最後まで彼が何者かわかりませんでした。

彼は、英語どころかボディランゲージさえほぼ使いませんでした。
バイクの後ろをポンポンとしたぐらいです。

彼は私と会話をせず、ただただニコニコしたまま優しさを与えてくれました。

国も言葉も違う彼からもらった真っすぐな優しさ。

彼の真っすぐな優しさと赤い口の笑顔は忘れられません。

ただただ真っすぐな優しさを自分も持ちたい、と思った出来事でした。


てっぺい

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