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みなさんこんにちは。クリスマスパーティーなのに「お笑い役」に半数近くの子どもが立候補して喧嘩、5人が号泣するクラスの担任です。

今日は「いち教員が学校改革に挑んだ結果」というテーマでお話をしたいと思います。一般的に学校は変わらないと思われているように感じます。私も周りでも、学校を変えることなんてできないとあきらめている先生や、校長や学習指導要領のとおりに働くことをよしとする先輩もいて、今のシステムが嫌なら教師やめろと言われたこともあります。しかし、私は学校は変われると信じています。今日は、私が学校を変えるためにやってきたことを失敗含めご紹介します。


1.私が変えた3つのこと

1つ目は「参観日の回数を減らした」ことです。年間4回あった参観日が3回に減りました。参観日は親としては最高にうれしいのですが、教員側としてはいろいろと大変です。授業を練り上げ、整理・整頓や掲示物など教室環境にも気を遣います。これが1回減るだけで心理的な負担が大きく軽減されて、職員室の雰囲気がフッと軽くなりました。

2つ目は「クラブ活動の回数を減らした」ことです。年間12回あったクラブ活動を6回に減らしました。やらないといけないと思われていたクラブ活動ですが、学習指導要領を読み込むと「学校が適切に判断する」旨が書いてあり、つまり1回でもいいわけです。クラブはやらないといけないものという固定観念を変えました。

[学習指導要領第1章総則第2の3(2)]
 特別活動の授業のうち,児童会活動,クラブ活動及び学校行事については,それらの内容に応じ,年間,学期ごと,月ごとなどに適切な授業時数を充てるものとする。

3つ目は「部活動への教員関与を減らした」ことです。うちの学校は部活動が盛んで、4年生以上は部活に入って毎日のように活動します。主担当になった先生は大会申込みや引率、練習試合のお便り作成、会計事務、月1回の連絡会(18-20時)に参加しなくてはいけません。保護者とコーチだけで回っていくようにオペレーションシステムを整え、教員の関与を1/20程度に減らしました。


2.どうやって変えたのか

結論、「教育課程編成会議」で合意を得ることができれば変わります。教育課程編成会議というのは、来年度の学校目標や行事のもち方、時程(時間割の組み方)などを話し合う会議です。道徳の教科化や教科担任制といった国の重要な教育施策が「中央教育審議会」で決まるように、運動会午前開催や朝モジュールの導入など、学校の重要事項はこの「教育課程編成会議」で決まります。

参観日の回数を提案したときは同僚から賛同の声が届く一方で、管理職の断固反対に遭いました。考えればそうですよね。管理職は地域や保護者からの評価が自分の立場に直結しているわけで、保護者が楽しみにしているものを取り上げたらPTAから何と言われるか。その時は同僚の追い風を頼みに押し切りましたが、管理職の立場になると苦しいものがあります。参観日を負担に思う親もいて年3回くらいが丁度よいことや、夏場の参観日は気温的に苦しいことなど、管理職がPTAを納得させられる材料が揃うように議論を進めることもできたかなと今は思います。

クラブの回数を減らしたときは、古株の先生から「多様な体験の場を奪うのか」といった意見も寄せられました。中途半端なことをしても体験とはいえない。やるなら外部と協働しながら本気で体験を創りにいくべきだし、形骸化して意味を感じないものになるならやめたほうがいいと、本音で自分の考えを伝えました。私は2回を主張し、反対派の先生は12回くらいを希望していたので、6回という着地点に導いた管理職に感謝です。

部活動に関してはまず私の部活でロールモデルをつくりあげ、それが波及していきました。私は企画やオペレーションをつくることが得意なので、教師が介入しなくても持続的に運営していくようにしくみを少しずつ変えていったのです。加えて、職員室で「ああ、まじ無駄っすよね!」「子育て世代にはつらい仕組みっすよね!」と大きな声で言いまくり、担当するバスケットでは教師不在でも回るようになったこともアピールしました。そうしているうちに同僚も「声だしていいんだ」と思うようになったのか、アンケートなどで部活動と学校を切り離すべきだという声が大きくなり、管理職が動き始めたのがここ最近です。


3.変えられなかったこと

ここまで成功事例をお話してきましたが、変えられなかったこともあります。いや、変えられなかったことのほうが圧倒的に多いです。

「業務改善チームの設置」
「保護者とのコミュニケーションツールの導入」
「コアタイムの導入」
「教員から市教委への意見箱の設置」
「Slackでの文書管理」
「子どもの躾は親に任せること」

覚えているだけでもこれだけあり、忘れているものも含めれば本当にたくさんあると思います。特に、市全体に関わることとなると管理職は及び腰になり、得意技「タナアゲ」を発動します。断られる理由の第1位は「前例がない/他校がやっていない」で、第2位は「知らない/よく分からない」です。私はそういうことを言われると「まず行動だろ、アホ」「じゃあ勉強しろ、ボケ」と思ってしまうのですが、丁寧に何度も説明をすれば道が拓かれるのかもしれません。戦職の優しいみなさんを見ていると反省することが多々あります。


4.なぜ変えるのか

学校は変わらないといけないからです。不登校は20万人、精神疾患で休む教員は1万人で、予備軍を含めると大変な数になります。子どもは学校がつまらない、教師は学校が苦しい。その根底には「変わらない」という固定観念があります。どうせ変わらないから、何を言っても無理だから。ならば、変えられると証明すればいい。希望を見せればいいのです。変わるって楽しいと、子どもの心をみんなが取り戻せるように。


5.いち教員でも学校は変えられるのか

いち教員でも学校を変えることはできます。人と違う意見を言い、年配から反対され、嫌われ、それでも戦い続ける覚悟があれば変えることはできます。大げさかもしれません。しかし一つ確かなことは、「スマートに変えることは絶対にムリ」だということです。意見を出し、議論をして誰かを傷付け、管理職を動かしていくのです。泥臭く、人に嫌われる勇気をもって進むしか道はありません。

とはいえ、私のように孤軍奮闘するやり方は現実的じゃないとも思います。相当な精神力と、嫌われ慣れが必要だからです。悲しいですよ、そんな人生。チームをつくって、声を大きくして、適切な段階を踏んでいく。個人ではなく「そういう声が多数派」であることをしかるべき人に伝えられるように、今後はオセロゲームをうまく進めていきたいのです。道はまだぼんやりとしていますが、戦う職員室にはそんな可能性が秘められているのではないでしょうか。来年、また新しい景色が見えそうで楽しみです。

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