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「華麗なるギャツビー」

これはすばらしかった。

デカプリオはスターだが、それ以上に、すばらしい演技をする俳優だ。
メロドラマになりそうな物語を、人生に対する問いかけの物語に変える。

貧しい家庭にうまれたギャツビーが成功を手にする。
華やかな生活を送るギャッビーだが、彼にとってはひとりの愛する人がすべてだった。

人工的な色遣いの、作りこまれた映像が、にせものっぽさを印象づける。映画そのものがフィクションであることを示しているのだろう。そして、語り部はギャツビーの人生を書き記す。それ自体、「華麗なるギャツビー」という小説であり、彼が語る物語が真実なのかどうかはわからない。
いくえにも仕掛けられた虚構の構造が見事だった。

現実は虚構に満ち満ちている。
しょせん、フィクションはフィクションでしかなく、現実ではない、というのがこの物語の答えなのだろう。
夢や希望といったものも、フィクションだ。ただ、人は自ら作り上げたフィクションの中で生きているし、そうでなければ生きていくことができない。
ギャツビーは、愛する人とともに生きる人生を信じて、妄想の中を突き進む。
その、たったひとつの純粋な気持ちを理解したからこそ、語り部は自ら書き記した物語を「グレート・ギャツビー」としたのだろう。それは、友としての賛辞であり、「華麗なる」という言葉から想起される、成功した人物や、スター性のある人物のことを指すのではないと思う。

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