見出し画像

「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(1984年)

うる星やつらは原作も読んでいないしテレビシリーズも観ていない。
本作は特殊な位置づけとして語られている印象だが、比較ができない。

それぞれのキャラクターを知らなくても楽しめた。
「学園祭前日が繰り返される」という話なのだが、いわゆるタイムループのように同じ出来事が繰り返されるわけではない。
「自分の好きな人たちと楽しくずっと過ごしたい」という願望が実現した世界が描かれる。

本作が製作されたであろう1983年はどういう時代だったか。
東京ディズニーランドが開園。
ファミコンの発売。
「おしん」が大人気。
なんとなく、景気のいい感じがする。
日本の安定経済成長期と呼ばれる時期だ。いわゆる「一億総中流」という意識があった時代だったのかもしれない。

それを踏まえると、「自分の好きな人たちと楽しくずっと過ごしたい」というのは、時代の空気とも言える。それを表現しているのではないだろうか。
本作の登場人物たちは、永遠に続く楽しい日々を受けとめ、満足する。
しかし、そこに違和感を覚える人々もいる。本作ではこれが夢であることを見抜く人物が現れる。
夢から覚めた時、それは本当に現実に戻ってきたかどうか、どうやったらわかるのだろうか。

本作では「夢」という空間を題材にしているが、人間は自分の知識や思考の中で生きている。それは夢の中に生きているのと似ている。なんらかのきっかけで、自分の考えに変化があらわれるとして、それは成長と呼ばれる。それはひとつの夢からさめた状態には違いないが、あたらしい夢のはじまりでもある。
そう考えると、人間は夢からさめることはないのかもしれない。

夢からさめると言えば、「マトリックス」(1999年)もカプセルの中にとらわれた人間たちが、仮想世界マトリックスから目覚めるために戦うというものだった。この作品が押井守の「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(1995年)から影響を受けているのは有名な話だが、終わらない夢から目覚めるという意味では「うる星やつら2」にも類似しているかもしれない。ウォシャウスキー兄弟が本作を観ているかどうかは不明だが。

1984年という時代を振り返ると、当時の自分自身のことを考えられずにはいられない。それはセンチメンタルに彩られたものになりがちだ。そういう意味では、冷静な判断がむずかしい作品だったが、観ることによって記憶が刺激されたという意味では良い作品だったとも言える。


サポートいただくと、よりよいクリエイティブにつながります!