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「ノマドランド」(2020年)

これはすばらしかった。
多様性」という言葉は、世の中にあふれており、陳腐化している。
本作を評価する時には「多様性」という表現を使わざるを得ないのだが、ネガティブなニュアンスではなく、本来そうであった、ある種の懐の広さを示す表現として受け止めてもらえたらよい。

監督が中国人のクロエ・ジャオであること。扱っている題材が、ノマドと呼ばれる漂流民の日々と描いているということ。さらに、そのノマドの人々がおもに老人であること。このように、いわゆるメインストリームではない要素が多々ある。メインストリームなのは、プロディースと主演をつとめたのが、アカデミー賞ではおなじみのフランシス・マクドーマンドであることくらいか。
本作がアカデミー賞を受賞した当時は、オスカーの受賞者が白人ばかりだという批判を受けていた頃でもあり、その批判をかわすために賞を与えたような印象もあった。実際そうだったのかもしれないが。とにかく、オスカーを受賞したことで、逆に本作の価値に泥を塗ってしまったな、と、鑑賞後に思った。本作は、オスカーを取らずに、ただ、すばらしいインディペンデント映画であったほうがよかったのにと思う。

物語はシンプルだ。
巨大企業の工場があるおかげで栄えていた街からスタートする。
工場が閉鎖され、町そのものが立ち行かなくなる。
主人公のファーンは、自分のヴァンに荷物を積み込んで旅立つ。
行く先々で働いたり、人に出会ったりする。その多くはファーンと同じノマドだ。彼らはほとんどが高齢者だ。
ノマドの老女は自分が癌におかされていて、もう長くないと語る。
しかし、旅の中で出会った美しい風景を前にすると、自分はもう今ここで死んでもいいと思えるのだと語る。
他の老人は、ノマドは別れ際に「また会おう」と言葉をかわすという。「さようなら」とは言わない。そして、かならず再会する。それは、相手が死んだとしても、再会するのだ。
ファーンは旅を続ける。
旅を続けるときは、基本的にヴァンの後方からカメラが撮っている。しかし、最後のほうで一度だけ、前方から撮影しているショットがある。
このとき、ファーンは旅をはじめた町に戻った。
ドキュメンタリー風のインディペンデント映画でありながら、多くのエンターテイメント作品が採用している、行きて帰りし物語の構造になっていた。
話を戻そう。いや、話を戻すというのはこのさい適切な表現ではないかもしれない。むしろ、話を循環させよう、というのが適切だろう。
ファーンは町を離れ、ふたたび旅をはじめるのだ。

ノマドライフが本当の人間の生き方なのだ、という映画ではない。
屋根のある家に住む人も、そうでない人もいる。
本作で描かれるノマドライフは、過酷で不自由だ。ただ、彼らは屋根のある家に住む、という選択肢を与えられていないわけではない。みずから、ノマドライフを選んだのだ。そして、そこに自分の人生を見出した。
本作で語られるのはノマドとして生きる人々の生と死だ。人生、というよりは死生観というほうがしっくりくる。人は誰もが死ぬ。愛した人の死をどう受け入れるか。もしくは自分にも、遠からず死は訪れる。「それでも世界は美しい」と言える生き方をしているだろうか。

本作は製作費7億5千万円以下。世界での興行成績が59億円。30億円以上が大ヒットの基準だというから、本作の内容からすると、正直信じられないほどのヒットだ。申し訳ないが、誰が観たんだろう、と思う。

それはともかく。こういった良質な映画がまだ作られているという事実をうれしく思う。

https://www.youtube.com/watch?v=89a0cFJypww&t=3s

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