見出し画像

「ザ・バットマン」(2022年)

これはすばらしかった。
位置づけとしては「バットマン」というよりはポランスキーの「チャイナタウン」やリドリー・スコットの「ブレードランナー」に近いと思う。

ストーリーは、若きブルース・ウェインを扱っている。冒頭で「2年間の生活で、おれはすっかり夜型人間になった」というモノローグがあるので、「イヤースリー」ということになる。
市長が暗殺され、犯人からバットマン宛の手紙が残されていた。
その後も、ゴッサム・シティの政治にかかわる重要人物が次々と殺されていく。
犯人がリドラーであることは早い時期にわかる。リドラーを追ううちに、ブルース・ウェインは、この事件が自らの両親や、ゴッサム・シティがうまれたころの出来事に根があることがわかっていく。
といったもの。

映像は基本的に暗い。ハードボイルドタッチではあるのだが「ブレードランナー」の暗さとはまた違っていて、ゴッサム・シティの街明かりなどは美しい。
これは、物語においてゴッサム・シティの成り立ちが重要なキーワードになってくるから、印象的に撮影する必要があったのだろう。

撮影にはかなりこだわっている。時にやりすぎな感じがするショットもいくつかあったが、おおむね成功している。
なによりも驚いたのは、通常、バットマンの映画ではバットマンやジョーカーといったキャラクターが映画の中では世界に普通に存在しているのだが、本作ではバットマンが「奇妙なコスプレをしたフリーク」扱いになっているというところで、映像を観ていても、「なんでこんな格好で出歩いてしまっているのか」という違和感を覚えさせる。これは今までのバットマン映画にはなかったオリジナリティといっていいだろう。
これはおそらく意図的にやっていて(意図的にそういうことができるのが驚異的なのだが)、最後のほうでその演出が活きてくる。

また、音楽もおもしろかった。
本編中では、「アヴェ・マリア」と、ニルヴァーナの「サムシング・イン・ザ・ウェイ」、そして「バットマンのテーマ曲」の3曲がバリエーションを変えて流れる。他の曲は流れていないと思う(クラブのシーンではズンズンいうリズムトラックは流れていたが)。そして、「サムシング・イン・ザ・ウェイ」と「バットマンのテーマ曲」はメロディが同じだった。使っている音符が違うだけだと思う。これはあえて同化させているのだと思う。
ネットでカンニングしたら「サムシング・イン・ザ・ウェイ」は「生命の線引き」に関する歌だという。
本作はまさにそういう映画だった。リドラーがブルース・ウェインに向かって「お前は両親を殺されたから『孤児』だと?孤児っていうのはどういうものか知っているのか」みたいなことを言うシーンがある。
人は生まれながらにして裕福だったり貧しかったりする。そして、その違いは一生を左右してしまう。もし、貧困層が夢や希望を叶えるチャンスがあったとして、その機会が奪われたら、もう二度とそんなチャンスはめぐってこないかもしれない。
「人は生まれながらにして線引きされてしまっている。それはもうどうにもならないことなのだろうか」という問いがある。だから、ふたつの曲を同化させたのだろう。
「アヴェ・マリア」はおそらくシューベルト版を使っているのだと思う。実はこの曲は宗教曲ではなく、タイトルも「アヴェ・マリア」ではなく「エレンの歌 第3番」というもの。エレンという娘が洞窟に追っ手から逃れるために洞窟に隠れ、聖母マリアに助けを求める、という内容。本作の内容を考えるとリドラーのために用意された曲のような気もする。

シナリオの作りが非常に緻密でうまい。
ブルース・ウェインは自らの過去に立ち向かうことで、トラウマを解消せねばならない。そして、そのためには必然的にリドラーを見つけねばならない。もしくは逆に、リドラーを見つけるためには、自らのトラウマに立ち向かわねばならない。
よくできた文芸作品のような映画に仕上がっていた。

製作費は284億円。興行収入は1,095億円。ちなみにバットマン映画で一番評価が高い「ダークナイト」は製作費260億円で、興行収入が1,429億円。やはりレジェンド級の作品とは売り上げが違う。ただし、クオリティという意味では本作のほうに軍配を上げるファンも多いのではないかと思う。
ロバート・パティソンやポール・ダノといった最近メジャーになってきた俳優たちが作り上げた新しい世界は、この先を期待させるのには十分な出来栄えだった。

https://www.youtube.com/watch?v=TxA04aCDB-I&t=1s





サポートいただくと、よりよいクリエイティブにつながります!