見出し画像

角川『短歌年鑑』令和4年版

①高野公彦「回顧と展望」〈確か岡井隆が使い始めた言葉だと思うがレティサンスという語がある。スペルはReticenceで「無口、沈黙、控え目、遠慮」などの意味がある。詩歌では「故意の言い落とし」の意で用いられる。〉覚えとこ。自分はあまりカタカナ批評語は使わないが。

②「特別座談会」栗木京子〈「現代短歌」で、1990年以降生まれの作者の特集をやりましたよね。影響を受けた歌人をアンケートしているのですが、回答はほぼ同世代で、上の世代も穂村さんまでも行かない。(…)年代が違う場合は、いきなり山中智恵子とか葛原妙子に行くのです。岡井隆さんや小池光さんの歌がほとんど出てこない。〉

 読んでいるけれど、影響を受けた、という意識が無いのかも知れない。だから俎上に乗りにくい。岡井隆と穂村弘の中間の、栗木の年代の歌人が最も出て来てないような気もする。

③「特別座談会」黒瀬珂瀾〈若い世代の中で王朝和歌的な美意識が色濃くなっている。古今・新古今的レトリックというか隠喩暗喩の可能性を通して、私の精神を出す。境涯詠的な世界観で時代性を把握するのとはかなり違う精神世界ですね。〉

 王朝和歌的というのはどの時代だろう。黒瀬の言いたいことは分かるし、私もこの言葉を使ってしまってたが、よく考えてみたら古今と新古今で300年ぐらい差がある。これってまとめていいのかな、とふと思った。私自身古今調と新古今調の差がよく分からないままにざっくりまとめて王朝和歌的って使ってたなあと今になって思う。

 現代の王朝和歌的な短歌って、子規に否定された古今調に先祖返りしたものだろうか。いや別物だろう。境涯詠的世界観の対立概念として王朝和歌的という言葉が使われているようにも思う。

④「特別座談会」
沖ななも〈ネットで炎上したから注目されたけど、私たち老人はSNSとかをやってないので、炎上するような情報も上げられない(…)〉
栗木京子〈炎上さえできない。〉
黒瀬珂瀾〈「デジタル・ディバイド」ですね。〉

 この問題は根深い。短歌の世界だけではないが。近代の郵便制度を利用した結社組織や新聞歌壇が、対面指導による門人組織に取って代わったように、今、SNSなどのネットを使った発表の場の拡大が結社や新聞歌壇に取って代わろうとしている、と私は思う、ってみんな思ってることではないか。

 沖ななもの率直な物言いが問題を浮き彫りにしたのだ。沖の座談会への登場はうれしい。総合誌の座談会はメンバーが結構かぶっているので、どんどん違うベテランに出て来て意見を言って欲しいと思った。

 時代状況はこれからも変わって行くと思うが、私は結社が好きなんだよな。

2022.1.21.~22.Twitterより編集再掲