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河野裕子『紅』(7)

非力なる母国語日本語上の子は英語に負かされ今日も戻り来 上の子は未だ流暢に英語が喋れない。小学校でケンカになり、英語を話す子らに負けて帰って来た。主体は母として心を痛めている。子が彼らに劣るのは英語の能力だけ。日本語の豊かさはここでは非力なのだ。

日本人が日本人がといふ自意識に私やせるなよ言葉やせるなよ 自分に言い聞かせている。多様なアメリカ人の中で日本人としての自己を失わずにいたい。だがそれを思い過ぎて、自分の心や言葉が痩せてはいけない。豊かであり続けたい。呪文のように同じ語を繰り返すのだ。

ひらがなでものを思ふは吾一人英語さんざめくバスに揺れゆく 人は声に出さずに思考していても自分の母語で考えている。主体の場合は日本語で。バスの中では皆が英語でにぎやかにおしゃべりしている。その中で押し黙っている主体。「ひらがなで」思考しているのだ。

降る雪におのづからなる遅速あり迅しといへど雪しづかなり 零下二十度の北米の冬。降る雪には自然に遅い速いがあり、その速度の差を窓越しに見つめている。遅い雪と言えど、かなりの速さで降って来る。そして、たとえどんなに速く降ろうと、雪は音を立てないのだ。

揺り揺りてさ百合のはなの後(ゆり)のはな湖(うみ)の水面(みなも)に揺れしむかしは 「あかねさすー額田王」より。額田王に成り代わって詠った一連。この歌は王をあまり強く意識せず、音の楽しさと調べの良さを楽しみたい。故郷の湖国滋賀への思慕もある。

2023.7.21. Twitterより編集再掲

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