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『ねむらない樹』vol.10 2023.2.

花火っていつも裸だ てのひらの皺という皺をなぞりながら 白野 花火は裸だと思いつつ、掌の皺のように入り組んだ自分の心がむき出しになり、火に照らされるのを感じている。下句は七七とも読めるが、八六と読む方が不全感が出て内容に合う。

この人とは結ばれないと思いつつしてあげた蝶蝶結びに夜 白野 かけた愛情が無駄になることが分かっていてもその行動が止められない。蝶蝶結びは何かはかない、すぐ無になってしまうことの喩だろう。「してあげた」という言葉が、主体の自己を保ってくれる。

餌をくれる人もいるから誰にでも一応集まったほうがいい 門坂崚 餌、一応などの露悪的な言葉が面白い。相手への敬意は無い、自分には余裕がある、と言外に滲ませる。程度の差こそあれ、こう思っている人は結構いるだろう。下句が促音で切れるところも魅力。

二学期のあなたの唾に咽せながらすべての赦したさがふぶいた 帷子つらね 上句から主体が学生で、接吻の場面であることが分かる。下句の、「すべての赦したさ」と感情を名詞化し、それが「ふぶいた」と表現し、激情が奔出した様子を表す。回想の歌。
 この連作には全て英語の詞書が付いている。掲出歌には「'cause we were just 18 and 17, not knowing our existence was not a fiction.」仮に訳してみると「私たちはわずか18と17だったので、自分たちの存在が作り事じゃないって知らなかった」ぐらいだろうか。英語で味わうべきか。

雨の駅に雨をみてをり貰ひ火のやうな感情がしづめがたくて 魚村晋太郎 下句の喩に惹かれた。自分から出た感情ではなく、貰い火のような感情。その感情に翻弄されて自分を制御できない。しばらく雨の駅で雨を見て、気持ちを整えているのだ。

白露の候、と書きて見えくる便箋に引かれてほそき銀いろの線 奥田亡羊 一・二句と三・四句がそれぞれ結句に掛かる。白露の候はざっくり9月。その挨拶を書いた時、便箋に元々引かれていた線がくっきり見え出した。意識の微妙な隙間のようなところを突いている。

⑦寺井龍哉「時評」〈歴史性から切り離されたものとして短歌の魅力を喧伝し、その感傷や陶酔に新たな読者を巻き込もうとする試みは、すぐれて詐術的な行動になりうる。それを忘れるべきではない。〉短歌ブームには色々な意見があるが、これが一番腑に落ちたかな。 

2023.7.3.~4. Twitterより編集再掲

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