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『短歌往来』2023年3月号

①藤島秀憲「臨場感とは」
〈臨場感とは読者の経験の有無に任せるしかない頼りないものなのである。〉〈臨場感とは読者の想像力に任せるしかない頼りないものなのである。〉〈共感もまた臨場感に必要な要素である。〉〈整理しておこう。臨場感を生むためには読者の協力が必要となること。それは読者の経験であり、想像力であり、共感であるということ。〉
 臨場感について、短歌だけでなく、俳句や川柳からも豊富な例を引いて、論じている。面白いと思った。同時に、これを別の用語で言い換えられないかなと考え中。

②藤島秀憲「臨場感とは」
〈ただし臨場感には落とし穴が幾つもある。読者が経験済みのことであり、想像の範囲内の出来事だということ。共感を得るだけで終わってしまうということ。すなわち驚きや新たな発見が無い、謎がなくわかりすぎる。往々にして詩的ではなく、叙情がなく叙事に終わっているということ。いずれも短歌にとってはマイナス要素である。〉〈臨場感は諸刃の剣であるということに今あらためて気づく。「私には臨場感があります」を言い換えれば「私には既視感があります」に成り得る。〉
 なるほどと思う。この臨場感はやはりこの言葉でないとダメかな…?リアリティがある、とかでは足りないのだろうか。その場にいるような感じ、自分の経験に引き付けて、あるある感を感じるような感覚だろうか。批評用語として有効かどうか意識して考えてみたいと思った。

宿題に変はりなけれどタブレットより出題すれば歓声あがる 大木恵理子 今の教育現場の一コマ。普通にプリントで出されれば反応が無い宿題でも、タブレットより出題されると歓声を上げる子供たち。子供の頃から慣れて、今度は彼らが技術を前に進めていくのだ。

参観に母の来ぬ子が挙手をする何度も何度もあててやるなり 大木恵理子 母は仕事が忙しく、平日の参観は行けないと伝えているのだろう。しかし子供は何かを訴えるかのように何度も挙手をする。小学校低学年か。教師である主体はそれに応え何度もあててやるのだ。

⑤武富純一「評論月評」〈川本千栄『キマイラ文語』を読む。〉〈興味深かったのは、口語の時の助動詞「た」への考察だ。〉〈こうした「文語/口語」の新しい切り口からの論考は現代短歌の次の時代への布石的な一冊となることだろう。〉深くお読みいただき感謝します!

2023.3.8.~9.Twitterより編集再掲

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