角川『短歌』2022年5月号
①トラックに物資と人を運びつつ祖父はあくまで侵略の側 大口玲子 ロシアのウクライナ侵略の報に接して多くの歌が詠まれたが、日本の過去の侵略戦争を想起した歌は少ない。大口はかつて満州で侵略者側の兵であった祖父を思う。祖父は自分が侵略者とは思っていなかったのだろう。
②「これだけは押さえておきたい古典和歌」
かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人定めよ 在原業平
桑山則子〈恋歌での世は男女の仲、世人はあなた。夢かうつつかはあなたが決めて。夢でないことはよくご存じでしょうとの含み。〉世の語を含む古典和歌に今後注意しよう。
③「古典和歌」月岡道晴「本歌取り」〈古典の世界では典拠によらぬ珍奇な表現は個性どころか軽薄とされることをまず念頭に置いて、我々は歌と向き合わねばならない。〉実朝の歌の典拠となった万葉集の歌を挙げていて興味深い。現代短歌に本歌取りはどう痕跡を残しているのか。
④道浦母都子「挽歌の華」
先の世ものちの世もなき身ひとつのとどまるときに花ありにけり 上田三四二
〈自らの病を感じての作と考えられる。花に託して自らの現実をうたったのだとすると「死」というものを描きながらの花への傾斜である。〉美しい歌と評。過去世も来世も無いのだ。
⑤松村正直「啄木ごっこ」〈この「散文詩」は非常に注目すべき作品である。(…)こうした自由な発想の作品を書いたことが、6月23日の夜から始まる短歌の爆発につながったと見て間違いない。〉小説を書いていた啄木が突然2日ほどで255首もの短歌を詠んだきっかけに迫る。
それは啄木が「散文詩」という短編小説を書いたためだ。題は啄木のオリジナルではない。
〈この「散文詩」という題はどこから来たのだろう。あれこれ調べた上での結論を言えば、ツルゲーネフの最晩年の作品「散文詩」に行き着く。〉これは啄木研究において指摘されてこなかったことではないか。
さらに啄木の「散文詩」と夏目漱石の『夢十夜』の類似点が述べられる。
〈この類似は単なる偶然だったのかということである。両者はともにツルゲーネフの『散文詩』の影響を受けているのではないだろうか。〉これも従来指摘されてこなかったことだろう。とてもスリリングな考察ではないかと思う。
⑥前田宏「時評 二つの短歌史企画」 角川『短歌』3月号の「落合直文特集」と『短歌研究』11月号の座談会「現代短歌史と私たち」について。
特に落合直文の特集は面白かった。鼎談についての前田のまとめも上手いので少し引いてみたい。
〈1.何でもない日常の作品化
2.自分と無関係な他者を詠う
3.新しいものと古いものの結び付け
4.みなおもしろし
5.円環的な時間〉
さらに、3の補足として、特集にはなかったエピソードを加えている。
〈亡くなる四年前、明治32年の国風家懇親会に弟子の尾上柴舟を引き連れて出席した際は、政治家にして大物ジャーナリストの末松謙澄の和歌批判に対して激烈な反論演説(「歌壇の現状に就いて」)を行っている。〉この直文のエピソードは知らなかった。ぜひ探して読んでみたい。
⑧前田宏「時評」次に『短歌研究』の座談会について。
〈現代短歌を論じながら、各自が考える現代短歌とは何かというイメージが見えにくいまま話が進んだ(…)話が広がったものの、何に焦点を当てようとした座談会だったのかが伝わらない(…)〉私も似たような感想を抱いた。
こうやって時評で指摘しておくのは大切なことだと思う。
⑨田中翠香「時評」〈「俵万智展」が第一級の歌人の足跡をたどる、見学者が作品を見て学ぶことができる正統派の展覧会(…)〉このへん、ちょっと疑問に思った。確かに俵は本は売れるし賞も取っているが、その作品はまだ充分検証されてないと思う。
⑩田中翠香「時評」〈秦巌歴史美術館でのミニ企画展「詠う戦国時代」である。ここでは戦国時代の武将たちが詠んだ歌が一堂に会し、その時代的背景が解説されていた。〉おお、これは面白そう。田中の言うように和歌史では中世に言及が少ないからなあ。見てみたかった。
2022.6.7.~8.Twitterより編集再掲