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〔公開記事〕「2021年作品展望」(総合誌2期令和2・12~令和3・1)『短歌研究』2021年12月号掲載

21年作品展望(2期)      川本千栄


 二〇二〇年十二月から二〇二一年一月にかけての期間はコロナ禍が二年目に入る時期であった。疫病の流行で、死はより身近なものとして感じられるようになった。
感染は肺に来るとふ死ぬことはともあれ呼吸困難が厭だ 森山晴美「短歌1」
腹部静脈瘤の手術するまへ会ひたいと言ひ来し友と会ひて別れぬ 小池光「歌壇12」
いつからが死後なのだらう滝壺にまはりつづけるボールのありて 楠誓英「歌壇12」
 森山の歌はコロナによる死を想起している。確かに呼吸困難は何より辛く、避けたいものだ。小池の友は死を覚悟しているし、小池もそれを分かって会ったのだろう。大病の名前で詠い始め、二人の再会を素っ気なく描いているが、それゆえ強い気持ちが伝わる。楠は死を滝壺に落ちて抜けられないボールに喩える。廻り続けるボールもいつか劣化して滝壺から逸れていくだろう。その長いような短いような時間が、死にまつわる時間なのだ。
無理を通すことなく過ぎし生(せい)といへ知らず傷つけし人もあらんか 尾崎左永子「短歌1」
死ぬまでは生きねばならぬ人間の運命さしづめ避けがたくして
確かなること失はれ曖昧な世にただひとつ死のみかくじつ 蒔田さくら子「短歌12」
 尾崎の一首目は自分も誰かを傷つけたかも知れない可能性を振り返る。二首目は初句二句が常識的発想ではない。生きることが義務であり運命になっているのだ。蒔田は、死は確実と言いながら全く冷静である。死を恐れる気持ちを既に乗り越えたかのようだ。蒔田氏は二〇二一年八月に逝去された。ご冥福をお祈りします。
コロナ禍に閑居して不善を為すわれも夕べは見にゆく畔の曼殊沙華 久々湊盈子「短歌12」
東京駅にマスク専門店できて下着売り場のごとく華やぐ 栗木京子「短歌12」
みな去ったあとのZoomの部屋までも月のひかりは差すのだろうか 伊波真人「短歌1」
 コロナ禍はもはや日常だ。死を恐れてばかりもいられない。久々湊は「小人閑居して不善を為す」の諺を軽妙に利用して、平凡な生活の彩りを詠う。栗木の比喩は相変わらず切れ味鋭い。コロナ禍のマスクさえ商売にしてしまう商魂と、下着売り場にも似た猥雑な華やぎ。人間の逞しさも感じられる。伊波は日常の風景となったZoomを実在の部屋のように描く。リアルとヴァーチャルの混在する場面の描出が巧みだ。
会わなければいまもいる人卓上に晩秋が来て初冬へ移る 三枝昻之「短歌往来1」
百日紅(ひゃくじつこう)も禅寺丸柿もよき姿朝のひかりの冬木となりて
道に遇ふ男(を)の子いきなり「蜘蛛のほかの虫ならなんでもさはれるよ」と告ぐ 花山多佳子「短歌研究1」
 三枝の一首目の「人」はおそらく故人だろう。卓上に差す日の光で季節の移り変わりを知る。二首目では、曲がる百日紅もすくっと立つ柿の木も、葉を落として幹の美しさを見せてくれる。花山の歌に出て来る男児は、子供本来の姿のままだ。コロナ禍による新しい生活様式と言っても大人の世界の話で、子供は本質的に変わっていない。見知らぬ他者に、唐突に自分の勇敢さを告げるところがいかにも幼い。しかも、まず蜘蛛は省くという留保付きの強さが微笑ましい。
さるすべりの紅(こう)が縁取る道走り手繰りたぐれば尽きるその炎(ひ)や  波汐國芳「短歌1」
曲り角まがつて出会ふ近未来いまは柊の花が咲いてる 馬場あき子「歌壇1」
楓のもみぢ散つていろいろの終りみえ秋陽しみらに空間のこる
湿原に湧きて流れとなる水の枯れ葦の間を動くともなく 沢口芙美「短歌研究1」
かりがねの隊列かぜに乱れつつ城跡ちかき街の上をすぐ 山田富士郎「短歌1」
歌ふとは手数尽くしたあとのこと夕顔を打つひとつぶの雨 坂井修一「短歌往来12」
地に落ちて小(ち)さき十字の花と知る金木犀の花のつぶつぶ 大辻隆弘「短歌12」
 自然を詠んだ歌を挙げた。花や木や鳥の名前を詠み込んだ歌には確かな手触りと、それを見ている作中主体の身体が感じられる。さらには心の在り方も見えてくる。自然の風物に主体の心情を語らせる詠い方である。
 単に「花」や「樹」という大ぶりな名詞や、「桜」や「薔薇」などよく使われる名前よりも、「さるすべり」「柊の花」「楓のもみぢ」「枯れ葦」「かりがね」「夕顔」「金木犀」などの限定的な名前が、作中主体が目で見ていることを感じさせる。その身体性から主体の心情が滲む。ただ草木の名前が入っていればいいのではなく、主体の心情を感じ取れる歌を読みたい。特に一首目に挙げた波汐の、さるすべりの紅と、主体の心の中にも燃える炎のダブルイメージに強い感銘を受けた。
もう君にさわれないかもしれなくて鳥の群がる木を見上げおり 錦見映理子「歌壇12」
冬の夜のほうが僕には近かった 消えたいよりも凍りたくって 田中濯「短歌12」
うれしかった。と告げるこころに一葉がまた一葉が影を曳きつつ 小島なお「短歌12」
 心情を詠って印象的な歌を挙げた。錦見は未来へのかすかな不安と失望を、塒へ帰って来て騒ぐ鳥の群れと対比させる。田中は過去形の感慨とその時の自分の願望を描写する。凍りたいという衝迫力のある願望が個性的だ。小島の心をかすめるのは木の葉だろうか。口に出した、うれしいという言葉とは裏腹に、心を影が横切るのだ。
雨に昏い部屋に明かりをつけながら梨を食むとき梨のなかの雨 藪内亮輔「短歌12」
あきかぜのプールの底は鍵・銀貨・みなみのかんむり座などが沈み 鈴木加成太「短歌1」
 目では見えない物を感知する歌は三十一音の持つ可能性を拡げる。藪内は梨のなかの雨を、鈴木はプールの底に沈んでいるかも知れない物を心で見る。詩的な感覚が光る。
可燃物にあらぬちちはは焼きたりき燃やし尽くせず睡蓮が咲く 川野里子「短歌1」
鳥神(ガルーダ)に祝福されて歩み来つ息子と息子を選んだ女(ひと)と 谷岡亜紀「短歌研究1」
雨が降れば雨に濡れつつ生きることただそのことのためにだけ生きよ
 家族の歌では、亡き父母を詠った川野の連作が印象に残った。二〇一九年の第六歌集『歓待』からの、さらなる深みが感じられる。谷岡は国境を越えた婚を寿ぐ。インド神話の聖鳥「鳥神」がエキゾチックさを添える。二首目は子に送る言葉。自然に抗わず運命に抗わず生きよ、と告げる。
土間に蹴落とされて裸で飯を食ふ手を使はずに人界の外 米川千嘉子「短歌1」
人形(ひとがた)は旧石器時代から 貢物は女たち それゆえ人形(ひとがた)生れしという 道浦母都子「歌壇12」
わたしといふひとつの石室その奥に獣神しづめて冷えとほる秋 小黒世茂「短歌12」
二万七千石用水取入口跡の上流にして柿を干すひと 高島裕「短歌12」
陽を追いて読書したりし床(ゆか)黒く本居宣長旧居に入りぬ 吉川宏志「短歌1」
かすれたる目鼻のごとく陸軍の文字刻まるる石のあたまに 梅内美華子「歌壇12」
 歴史に取材した歌は、長い時間の中の自己の立ち位置をくっきりと詠う。特に米川の連作は国立歴史民俗博物館で行われた「性差(ジェンダー)の日本史」展に取材している。掲出歌には「娼妓の儀式」という詞書がつく。自分は娼妓であることを、本人に思い知らせるためにされた儀式に、驚きを禁じ得ない。「人界の外」という言葉に、読者も米川の受けた衝撃を分かち合う。道浦の人形を扱った連作も、女性の受けてきた歴史の暗部を描き出している。小黒の歌では、歴史と自己の内面が重ね合わされる。高島・吉川・梅内作品では、歴史的具体的な事物が、現在を投射する。
 次に印象的な連作について触れておきたい。
じゆんばんにそしてむげんに黄を塗らう胸から公孫樹並木をだして 渡辺松男「短歌1」
らりるれろりの一滴のレモン色ろの一滴の栃の実のいろ
 渡辺作品は自然を凝視しながら、それを作中主体が吞み込んでゆく。奇想に見えながらも必然として、自らと自らの周りの世界が混然一体となるのだ。
石に価値の違いをつけた人類が最初に握りしめた石のこと 東直子「短歌研究1」
恐ろしいのはあなたかもしれなくて浅瀬に蟹は転がるばかり
 東直子の近年の歌の暗さに驚く。この連作では日常生活の細部を描きながら、どうにもならない人生を、投げやり一歩手前の所で過ごしている日々が描かれる。一首目は宝石等の石の価値は人間が決めただけで、実は石に価値など無いのではないかと感じつつ、それを握りしめる人間の欲を冷静に見つめている。二首目のあなたは身近な人であろう。その人の本質が不気味なものとして暗示される。蟹が怖い。
余白うむための鉛の断片に銃の弾とは違う冷たさ 千種創一「短歌往来1」
喜んで。波打ち際の硬いとこ、歩きましょう。逃げる途中で
 千種作品は、活版印刷機の活字を詠った歌を背景に、相聞を詠う。活版印刷を説明する詞書が一連に硬質な印象を与える。一首目の詞書は「文字と文字の間のスペースには「コメモノ」という活字が使われる。」、活字の鉛を銃弾と比べる、ハードボイルドな一首だ。二首目は逆に話し言葉が柔らかい。相聞の相手への囁きだろう。句切れ通りに短く切れた一句一句に、道行の途上のような不思議な連帯感がある。 
わかりあうためにはしかし食べ終えてチェリーの種に残った果肉 道券はな「短歌12」
霧雨のなかにうつむく秋薔薇のようなあなたをわかりたかった
 道券作品は食べることと、分かり合うことを並列に描く。分かり合うこと、とは精神的にも身体的にも繋がることが暗示される。食材を要所要所に配しながら、性愛の場面を巧みに描写する。角川短歌賞受賞第一作であり、確かな技量を感じさせる連作であった。
自転車はあしながばちを追い抜いて抜き返されて水辺に到る 西藤定「現代短歌1」
首都高の高さの窓で息をつくあいつはだめですと俺も言う
わたしにもキウイにも毛が生えていて刃を受けいれるしかない身体 田村穂隆「現代短歌1」
銀のフォークをミルクレープに沈めゆく力加減であなたに沈む
 現代短歌社賞応募作品より。受賞の西藤作品は都会的でクールな感性が光る。一首目のように自然を詠った歌も丁寧でまとまりがあるし、きつい職場を詠った二首目も、仕事の様子がリアリティを持って伝わって来る。次席の田村は反対に荒々しく激しい感情を、斬新な比喩と豊富な語彙で描き出す。震えるような欲望と感情を詠った突出した歌群だった。
爪、桜 みたいってかざす 感情に最果てがあるならそこで会いたい 石井大成「現代短歌1」
故障中 貼り紙がはためいている あなたはどんなふうにされたの 石畑由紀子「現代短歌1」
ケチャップは開封するまで常温で保存ができる人間もそう 中嶋港人「現代短歌1」
 佳作・候補作から。新人賞の応募作はいつも「今ここ」の最前線であり、刺激的だ。中嶋のケチャップに赤い血を想起した。

『短歌研究』2021.12.  公開記事