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『短歌研究』2023年2月号

神は死ねどマリアは街の隅々に生き残りをり苦しむために 川野里子 シチリアが舞台の一連。昔読んだイタリアの児童文学を思い出す。マリア信仰が強い国なんだと思った。神が理性に滅ぼされた後の時代にも、マリアは苦しむために残ったのだ。深い読後感がある歌。

 〈アンナは修道士の声をきくと、怒りを湛えた暗い目で彼の方をふりかえった。「そうよ。神様のご意志でしょうよ!神様は男だから。でも、マリヤ様はそんなことを許されないわ。マリヤ様は女だからよ。」修道士はやさしくほほえんでいた。でも、そのやさしい笑顔が、アンナをいっそういきりたたせた。「神様はこの世の中を支配し、マリヤ様のいうことに耳をかたむけないのよ。それで、戦争になったんだわ。神様は、マリヤ様を天国の一室にとじこめてしまったのよ。それで、わたしたちのおいのりが、マリヤ様にとどかないのだわ。」〉
 エリック・Ⅽ・ホガード作/犬飼和雄訳『小さな魚』より

たしかなんとか崩れだつたがあいつらの何がくづれたんだつたか 平井弘 「特攻崩れ」のことを言っているのだろうか。しかし特攻崩れって、よくもそんなひどいことが言えたものだと思う。昨日まで自分たちを守るために死のうとしていた若者たちに対して。平井の意図もそこだろう。

塞ぎつつ苦く聞きゐつ学校の床板剝ぎて成りし慰安所 古谷智子 沖縄が舞台の一連。戦時中、学校の床板を剥いで慰安所を作った、という説明を聞いていると気持ちが塞いで来る。自分たちの親や祖父母世代が沖縄に対してしたことを、せめてきちんと聞こうとしているのだ。

氷上を銀色の刃で進むとき凶器はすべてあなたに見せる 鈴木晴香 スケートをしている主体とそれを眺めている「あなた」。銀色の刃は氷上を滑るためだけでなく凶器ともなり得る。その刃を全て見せながら滑って行く。その時、刃以外に秘め持っている凶器もあなたに見せているのだ。

⑤吉川宏志「1970年代短歌史 座談会「女歌その後」と母性論争」〈女歌において「自と他の観念」がはっきりしていないのかどうかは、ひとまず措く。ただ、ここで重要なのは、自己と他者が分離している歌に対抗して、自他が融合する歌を肯定する価値観が生じていることなのである。近代短歌の写実主義は、主体(自己)が客体(他者)を観察して描写するという構造を持っている。「自と他の観念」が明確にならざるを得ないわけで、それが短歌の表現を精密にしていったことも確かである。しかし、それが唯一の価値観になってしまうのは良くない、という考え方が、この座談会の中で登場しているのだ。〉
 この後、吉川はこの座談会における、河野裕子の母性発言について詳しく述べている。また後日譚として、座談会の論点を、女性同士の対立、と安易にまとめ消費しようとする社会の流れがあったことと、それへの馬場あき子の厳しい発言も取り上げている。必読だ。

とかげのやうに灼けつく壁に貼りつきてふるへてをりぬひとを憎みて 河野裕子
 吉川宏志〈自他の境界がはっきりしない、という感覚はこうした歌によって、新しい表現として確立されることになる。(…)自分とトカゲの間でも体感が混じり合うような言葉が探求されている。写実的な歌では、自分がトカゲを観察して描写することになるのだが、河野の歌では、自分がトカゲの中に入り込むように歌われる。それは河野の独自の感覚であるが、それを理論的に後押ししたものが、座談会「女歌その後」の議論の中に内包されていたと言っていいのではないか。〉
 このあたり、私が第一評論集で書いた河野裕子論「〈われ〉の境界線」とすごく重なる。私は河野裕子の後期の歌を主に取り上げて分析したが、ごく初期からこうした自他の境界がはっきりしない歌があったという今回の吉川の論には、大いに頷き、力を得た。私もまた考察して河野裕子論を書きたい。

⑦渡辺祐真(スケザネ)「短歌と考える現代」「第一回 二〇二二年の「短歌ブーム」を振り返る」
〈文学が言葉を核としていることは紛れもない事実だ。ただの伝達手段として消費されるのではなく、それ自体が味わうべき対象となる文学において、意味だけではなく、音や配置、文字といった言葉自体まで熟読玩味してほしいと思っている。〉
 この部分への注釈で
〈その点では、短歌における文語を見直す、川本千栄『キマイラ文語』(現代短歌社2022年)のような本の誕生は嬉しい。〉
 と書いていただきました。スケザネ様、ありがとうございます!皆様、ぜひ原文でお読みください。

2023.2.12.~13.Twitterより編集再掲

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