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『短歌人』2024年5月号

①「高瀬一志研究」
桑原憂太郎「「含羞」ある大人の〈私〉」
〈「含羞」ある「私」による、へんてこりんな律動や、およそ短歌らしくない歌材による不条理性を楽しんだ後、ぱたんと歌集を閉じれば、そこには、最後まで境涯を詠うことを是としなかった大人としての〈作者〉の姿が浮かんでこよう。〉
 著者は〈定型は恥ずかしい〉〈詠嘆は恥ずかしい〉〈境涯は恥ずかしい〉と3つの項目を立てて、高瀬の歌を分析している。この恥ずかしさって、実は今現在の多くの短歌に当てはまるのでは。高瀬個人の特徴が普遍化したようにも思う。

②「高瀬一誌研究」
寺坂誠記「逃亡者高瀬一誌」
〈われわれを取り巻きながら自分の意志ではコントロールしがたい宿命=境涯がペーソスの淵源だと言えるかもしれない。だだし、ペーソスは「あふれる」ことはあっても周囲を水浸しにするほどの湿度であってはいけない。おそらく、悲しすぎるものはペーソスとは呼ばないのだ。(…)高瀬の作歌意識が独特の文体を生み出し、彼の作品を哀傷的な境涯詠ではなく、ユーモアとペーソスの次元に存在せしめている。〉
 境涯詠はあるが、それはユーモアとペーソスで詠われている、という分析。

③「高瀬一誌の歌80首」 
 この特集を読むとすぐ高瀬一誌の歌集が読みたくなるが、同じ号に80首選が載っているのがうれしい。見開き2ページに収められていて、繰り返し読むのに適している。

2024.6.7. Twitterより編集再掲

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