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『塔』2024年4月号創刊70周年記念号(2)

飛行機はこれほど燃えるか燃えるだらう夜空にのぼる炎見るのみ/使命帯び被災地へ飛ぶ五人(いつたり)のいのちなりけり失はれにき 栗木京子 今年1月2日に起こった日航機と海保機の衝突事故を詠った一連。韻律の強さが悼む気持ちを伝えて来る。短歌でしかできない事だ。

⑦吉川宏志「青蟬通信 読みのピグマリオン」
〈短歌にも(ピグマリオン神話と)同じようなところがあって、読者は自分が生み出した〈読み〉に惚れこんでしまうことがある。自分の願望や思想を、他者の作品に投影してしまう、ということなのだろう。〉
 同4月号座談会「百葉集を読む」での岡部史の発言にも通じるところがある。他人の歌の中に、自分の読みたいものしか見出さない、という危険性もあるのだ。
 「青蟬通信」はこちらから読めます。 ↓ ↓ ↓

わが子でも縁ありて出会ふと思ふなり時雨降る日の海風のなか 山尾春美 親と子の出会い、原初の出会いも縁だという思い。縁があって自分のところに生まれて来た子、という思いが沁みる。生物学的な確率から考えても、巡り会ったというのが実感だ。下句の情景描写もいい。

ダンボールひとつつぶせばダンボール一箱分の部屋がもどり来 山名聡美 これはよく分かる。引っ越しの後などで積み上がった段ボールを一つずつ片付けてゆく感じ。一つつぶせばその空間が部屋として戻って来る。部屋が再機能しだす感じ。なかなか全部は終わらないが。

精神の反吐を短歌にしても良いそれを他人に見せなくても良い 吉岡昌俊 一首の中に二つの文があるが接続詞は省略されている。「そして」なのか「けれど」なのか。どちらでも繋がるところがまさに短歌。散文ではできない。順接で読めば「見せても良い」と言いたくなるが。

⑪森山緋紗「誌面時評」
〈特集は前号に引き続き全国大会の報告で、パネルディスカッション「口語と文語の線引き?」。これは川本千栄氏が出版された『キマイラ文語』をきっかけに企画された〉
 お取り上げいただきありがとうございます。まだまだ論じたい歌がありました。

⑫徳重龍哉「小林幸子歌集『日暈』評」
ぢりぢりと方向かへる長刀鉾をながめてをれば六十年過ぐ 小林幸子
〈祇園祭の山鉾巡行の一場面であるが、長刀鉾が方向を変えるわずかな間に六十年が過ぎるという。わずか一瞬のことをスローモーションで見るのが人生なのかもしれない〉
 とてもいい歌にいい評。スローモーションでもあり、映像の早送りのようでもある。記憶の中のの長刀鉾から今目の前のこの長刀鉾へ、スローで見ながら、あっと言う間に六十年が経ったのだ。

うつとりと人を思ひし日のやうに杏は散りぬ土までゆつくり 松原あけみ 「うつとり」「ゆつくり」の言葉の呼応が美しい。杏が散るのはほんの数秒なのだろうが、それがとても長い時間に引き伸ばされる。過去への追憶も含んだ、滞空時間の長い歌。

2024.5.19.~20. Twitterより編集再掲

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