『歌壇』2023年2月号
①青空を背にして破壊さるるとき橋はなにゆゑ生々しきか 栗木京子 戦争のドキュメンタリーなどで橋の破壊の場面を意外に多く見ていることにこの歌で気付いた。むしろ戦争の一つの象徴かも知れない。あちらとこちらを繋ぐものが青空を背景に壊される。人間の生活の歴史を纏いながら。
②採算と命の値段のくらき溝 鶏の治療はついぞ習わず 久永草太 鶏インフルエンザのニュースの度に何万羽もの鶏を「処分」と聞く。その理由は、鶏を治療していては採算が合わない、「処分」するしかない、ということなのだろう。最初から治療は考えられていないのだ。
③鳥を診る医者になりたし我を背に乗せくれるほどの巨鳥の医者に 久永草太 ドリトル先生のような童話的な絵が目に浮かぶ。小さな命ゆえに見捨てられがちな鶏、鳥。そんな鳥を診る医者になりたい。見殺しにするしか無かった鳥がある日巨鳥になって蘇ったら。心を寄り添わせる歌。
④血のやうなしづけさのきてたれひとり触れしことなきゆふぐれにゐる 近藤由宇 初句二句の、静けさがしんとした血のようだ、という比喩が音的にも体感的にもよく分かる。三句以下は誰も触れたことが無い、経験したことの無い夕暮と取った。主体は夕暮の中で一人立ち尽くしているのだ。
⑤飽和する鈴虫こころのひだの底鳴らせっぱなしのまま生活は 大野理奈子 何かが過剰、もう充分どころかもうたくさんと思っている。それが心の襞の底で鳴り続けているが、止めるための行動を取ることができない。生活を優先しなければならないからだ。飽和する鈴虫、がガツンと来る。
⑥分類はゆたかに増えてあなたからあなたを探す指が足りない 大野理奈子 図書の分類のことだろう。分類が細かになり過ぎて、探したいことがうまく見つからない。「ゆたかに」は反語か。まるであなたの色々な面が細かく分かれ過ぎて、本当のあなたの姿を正確に捉えられないかのようだ。
⑦割つてくれ私は瓶の中いつも海を見てゐた長い手紙だ 今紺しだ Message in the bottleー瓶に手紙を入れて海へ流す。十九世紀の小説っぽいが、実際にもあって、拾った人から返信が届いてニュースになったりした。そのイメージを借りつつ、「割つてくれ」という初句に切迫感がある。
⑧「歌壇賞選考座談会」近藤由宇「なづきを洗ふ」について
「日照雨ふる町はひかりて濡れぬやう傘を開きぬ傘持つひとは」
東直子〈「傘を開きぬ傘持つひとは」、傘を持っている人と持っていない人がいるわけですよ、世の中に。傘は一つの閉鎖空間ですよね。自分が濡れないように傘を開くという、その行為を問い直している感じがするので、この歌は面白いと思うんです。〉
三枝昻之〈そういうふうに読めばね。〉
この歌は雨が降り始めた時を写生的に描いていると読んでいたが、東の読みを聞くと、かなり象徴的な歌に思えてきた。
特に結句は言わなくても分かるところをダメ押し的に言っているところに含意があるのだ、と読めてくる。東の読みに納得する。三枝の発言がまた絶妙で、そう読めば面白いし、でもそう読まないこともできる、と示唆しているようだ。読みの臨場感が伝わって来る場面だ。
⑨吉川宏志『源氏物語』「朝顔」〈「若菜下」の巻で、源氏が同じように紫上の前で過去の女性たちを評したとき、六条御息所の死霊が現われ、紫上を襲い、最後には命を奪ったことを私は想起します。「朝顔」のこの場面は、「若菜下」の予兆のような役割を果たしているのではないでしょうか。あるいは、この部分を原型にして、六条御息所の呪いが書かれた可能性はあるのではないか。つまり、女性たちを男が比べるのは、残酷なことであり、それはいつか恐ろしい報いを受けるのだ(…)〉
朝顔はどちらかというと目立たないキャラで、源氏物語の女君の中でも取り上げられるのが少ないと思う。その巻でも人間の心理の陰影が繊細に描かれているのだなあ。
最後の「女性たちを…」の部分はなぜわざわざ強調されているのだろう?源氏は生涯を通じて女性を比べ続けてきた人ではないか。吉川のこの連載の副題は〈「似る」と「比べる」〉。今後これについてもっと深掘りがあるのかも、と期待。
⑩谷岡亜紀「鑑賞佐佐木幸綱」 樹にされし男も芽ぶきびっしりと蝶の詰まれる鞄を開く 佐佐木幸綱〈万物のアニマが蠱動する春は、どこか物狂おしくシュールな季節である。その感覚を捉えた歌だと言える。神の魔法によって樹木にされた男が、新芽のフレッシュグリーンのアニマを噴き上げ、おもむろに季節の扉を開けて、鞄一杯の蝶を一斉に空に飛び立たせる。(…)〉
この歌はいいなあ。喩と捉えてもいいけど、谷岡の読みはまるで実景のようだ。絵本のように捉えているのだ。「びっしりと」蝶が詰まってるなんてあり得ないのに、その語感が逆に、一首を絵のように感じさせてくれるのだ。
2023.2.8.~2.10.Twitterより編集再掲