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『西瓜』第12号2024spring

冬枯れの朝顔の蔓ほんとうの終わりとみればすこし触れたり 江戸雪 枯れた朝顔の蔓が景にも比喩にも取れる。本当に、疑う余地も無く終わった何かがあり、それが朝顔の蔓を見た時に連想された。主体は蔓に少し触れて、終わりを確認しているのだ。

撮ったことを覚えていない夜の写真それでも誰の夜かはわかる 鈴木晴香 撮った覚えの無い写真は、写真と記憶の不思議さを考えさせる。写真が自分の脳の一部を代替しているような感覚だ。これは誰々といた時の写真だ、と思い出すのだが、撮った瞬間の記憶は無いのだ。

けふの日を終へるまぎはのくらがりに職場の鍵を職場に刺しつ 門脇篤史 最後に退勤するため、施錠しているのだろう。「挿す」ではなく「刺す」と書いたところに、主体の仕事に対する気持ちが出ている。「職場に」もうまい省略で、擬人化のような味わいもある。

2024.6.5. Twitterより編集再掲

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