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角川『短歌』2024年6月号

わがこころすずめに寄する数秒がすずめの消えてすずめと消えき 渡辺松男 ほんの数秒の心の動きを描き出した。雀への心寄せの数秒が雀が飛び去ったことにより、雀と共に無いものになってしまった。雀と時間と、両方の不在を主体は感じている。

すずめのこゑ意識するとき雀あり同時にわれもありぬ朝から 渡辺松男 雀の声が聞こえていることを意識し始めた時から、雀はそこに存在する。そして雀の存在を感知する自分自身も存在する。一首前の歌は不在を、この一首は存在を詠っている。

陸風ははげしく夜のガラス打ち共感疲れのこころを砕く 三井ゆき 海岸地方で夜に陸から海へ吹く風を陸風という。海風ほどよく使わない語だが強い風を想像する。ガラスが風で震えると、SNSでの共感に疲れた心が打ち砕かれるように思う。不安定さが伝わる一首。

④特集「雨の詠み方」谷岡亜紀「雨のドラマツルギー」
池水は濁りににごり藤浪の影もうつらず雨ふりしきる 伊藤左千夫 昭和二十三年六月十三日深夜、太宰治は玉川上水で心中し、遺体は太宰の誕生日の六月十九日に発見された。その少し前に伊馬春部に送った自筆色紙にこの歌が書かれていたため、いわば太宰の辞世の歌と受け取られた。確かに「濁りににごり」と相まって、この陰鬱に降り続く雨は、太宰の厭世的な心情や人生観をドラマチックに反映する。(…)虚実皮膜のドラマ性をイメージとして伝える「雨」である。このような心情と風景描写の重ね合わせを「景情一致」と呼ぶ。和歌の中心をなす技法である。〉
 左千夫の元の連作の中でこの一首を見ると、それほど情のこもらない写生歌に見える。太宰が心中という「物語」を背景として一首取り出した時、この歌に新たな読みが加わった。テキスト読みとは反対の読み方だろう。

⑤『短歌を楽しむ基礎知識』刊行記念国文学者鼎談「現代短歌はどのような時代か」
神作研一〈旧来の近世和歌史は国学との関係が密接に叙述されましたが、今は天皇公家を中心とする「堂上(とうしょう)」を軸として記述されるようになりました。十七世紀はその堂上の時代、十八世紀は堂上から「地下(じげ)」へ、地下から地方へ、十九世紀は国学派全盛の時代と括れます(和歌文学会編『和歌のタイムライン』〈三弥井書店、2021〉参照)。〉
 メモメモ。また読みたい本が増えてしまう。この鼎談、なかなか難しいけど面白かった。もう少し勉強したいものだ。

2024.6.20. Twitterより編集再掲

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