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『塔』2023年9月号(2)

脳の襞の隙間を詰めてゆくやうに白詰草の冠を編む 澤井潤子 視覚的な一首。画数の多い漢字が多く、どこか息苦しい。確かに白詰草の花は人間の脳の一部を思わせる。一つの花を一つの襞を埋めるように、ぎっしりと冠に編んでいく。何かに憑かれているかのように編むのだ。

⑨宗形光「誌面時評」7月号特集「田村雅之さんに聞く」について。
〈よく〈行間を読む〉と言われるが、歌集を読むことは、余白の「間」を読んでいるとも言える。〉
 歌集には「間」が多いが、「間」も読むので、字が詰まった散文を読む以上に、時間と体力気力が要るのだろう。

真夏日をきざす職場の書庫整理二十年前のわが起案在り 後藤正樹 同じ職場に勤めているとすぐ二十年ぐらい経ってしまう。しかし書庫を整理していて、自分が二十年前に起案した書類が出て来ると、さすがに時の流れの速さに驚く。新生児が成人ぐらいまで、大人にはすぐ。

しかしそれは花火が消える最後まで人を信じていただけのこと 君村類 一首では「それ」が何を指すのか分からない。人を信じるはかなさを考えると「それ」が何かは分からなくてもいいのかも知れない。花火が上がって消えるまで信じていた。その結果はむなしかったのだ。

ひとはみな誰かのかわりのたずねびと発芽とそよぎの深き緑よ 吉田広行 どんなに人を好きになっても、それは誰かの代わりでしかない。一生誰かをたずね続けて、代わりの人を愛するしかない。発芽した芽が成長して深い緑にそよぐ、そんな短い間の人生なのかもしれない。

母はそれでも私を諦めないだろう 木の洞のなか逆さにねむる 長谷川麟 母と主体の関係性はそんなに良くないのだろう。だとしても母は自分のことを諦めない。子の立場からすると少し重く思えるのかも知れない。母の側から言えば、子を諦めることなどまず無いのだが。

満たされていないと詠めるという君の恋人だけどあなたが好きだ 姉川司 君が歌を詠むということは満たされていないということ。恋人である主体にそれを言ってしまう君。それでも好きだ。それを伝えるとき二人称が「あなた」になっているのが、二人の距離感を感じさせる。

本置かれ弾かれないままわがピアノそれでも小指をソの指と言う 有木紀子 私もそうだが、ある時期、小学生女子は皆ピアノを習っていた。何だったのだろう、あの時代。いつしかピアノは物置になり本が積まれる。「ソの指」が郷愁を誘う。他の年代の人には通じない話だが。

雛だって練習してる羽に泥つけて独りを引き受けること 月下香 四句結句を読むまでは「飛ぶこと」の練習だろうという予想がある。しかしそれを踏まえての四句結句にハッとする。雛に出来るのだから、人間だって。身体に泥をつけることを怖れずに引き受けたい。

六歳の私は悲しかったよね六十六になって気付いた 高橋澄子 六歳ぐらいの頃は自分の感情を自覚出来ないことがよくある。あの感情は悲しかったんだ、と後で思う。何十年も経ってから気付くこともあるだろう。悲しかった、小さな自分を抱きしめるように思い出すのだ。

⑱丸山恵子「七月号月集評」
鳩を握りしめるほど人を憎んだら白沈丁花香ってくれる 川本千栄
〈鳩を握りしめるとは強烈な比喩。憎しみの強さを身体感覚で表す。(…)行き場のない憎しみを抱え沈丁花の香りに救いを見出したのではないか。〉評をいただきました。感謝!

2023.10.11.~13. Twitterより編集再掲

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