短歌月評Ⅱ

「短歌往来」四月号
クルーズ船二月の孤絶の景となる捕らへられたる白鯨として  梅内美華子
〈閑夢遠し〉港の波に洗はれて巨大客船の発つ日の見えず
咳をする人が怒られる電車にて断罪をする寒さひろがる
「休めないご家族」の春に開く門 自由登園となりたるのちを
スリランカの森林の夢は消えたるかホンセイインコきよきよ叫ぶ

 「閑夢」二十一首より。日本でのコロナ・ウイルス感染症流行の始まりとなったダイヤモンド・プリンセス号。この船の集団感染がニュースになった頃はまだ他人事であった疫病が、徐々に日常を浸食していく。作者は日々変化する事態を歌に留めるだけでなく、漢詩の一節や野生化し増殖するインコを背景に、不穏で禍々しい現代の空気を炙り出す。
突けば飛び散る水風船のかなしみを突かれねば黙しゐつ被災のだれも  松本典子
ここではない誰かのための被災地で今日も知らない楽団が来る  生田亜々子
放たれて楽になりたい汚染水とわれは迷惑かけてはならぬ  三原由起子

 四月号の特集は「天変地異を詠む」。天変地異と疫病は別のものだが、人間に厄災をもたらす点では同じだ。梅内の連作と本特集が一冊の月刊誌で並んでいると、図ったようで終末感が漂う。
 松本は二〇一九年千葉の台風被害、生田は二〇一六年の熊本地震、三原は二〇一一年の東日本大震災を詠う。それぞれが災害の光景だけでなく、被災者となってしまった人の心理を描き出す。松本が描くのはどんな災害に対しても共通する心理だろう。生田は、被災地のためを口にする他者への苛立ちを表す。三原は他者の視点から逆説的に自分を詠う。被災から時間を経ても詠い続ける大切さを思う。
木曜は面会日なればこのみちを漱石門の青年歩む  渡英子
酒乱にて師を悩ましし三重吉も生真面目に並ぶ写真のひとり
をりをりに繙きて読む書簡集『白秋全集』第三十九巻

 「からんどりえ」三十三首より。漱石山房記念館を訪れたことをきっかけに、漱石から門下の鈴木三重吉、その友人北原白秋など明治大正の文学者を点描する。メールの時代の文学者には「書簡集」が編まれることはないだろう。書簡集を読み、その人の息遣いに触れることができるのは、ある年代までに限られた贅沢な喜びなのかもしれない。

「短歌研究」四月号
着陸後地上の人は近づきぬその手に赤きコーンを曳きて  島田幸典
今といふ時間はすでにわが背後(うしろ)ながき土塀に沿ひて歩めり

 「碑の蟻」三十首より。一首目、飛行機着陸後、機内から係員を見る。誰でも見たことのある光景を、眼の前にあるように描き出す、写生の技術の確かさを感じる。二首目は、目に見えない、長い時間というものを土塀に象徴させて端正な歌となった。
カーテンを開けたる部屋にわたくしの陰(ほと)をとほりし頭がふたつ  山木礼子
子供ゐたんですかと驚かれしことが淡いきらめきとして尾を引く

 「朝」三十首より。連載で詠われる子供は生命の感じられない物体のようで、輪郭さえも曖昧なままだ。内面が感じられるのは一人作者だけである。子供がいるとは思えなかった、つまり若々しいと言われてパッと華やぐ心。ひと昔前ならこうした母の歌を非難する人もいただろう。赤裸々に子育てを厭う歌が詠える時代になったのだ。
もうすぐ氷になる寸前だったんだよと言って子が手を触らせる  花山周子
美しきひなたに入りて見ゆるもの子の頬の産毛 枯草の穂

 「長生き二〇二〇年一月~二月」二十首から。冷たい自分の手を母に触らせる子供。八・六・五・七・七に切ろうと思えば切れるのだが、そのリズムで読むと躍動感が無くなってしまう。短歌の句切れについて考えさせる歌。二首目、場の設定を「美しき」と言うことで心の安定感が伝わってくる。中城ふみ子の「春のめだか雛の足あと山椒の実それらのものの一つかわが子」や遠く『枕草子』の「うつくしきもの」にも通じる。
芹あをく水辺に生ふればそを摘みて炊きて、ながくながく生ききし  日高堯子
わびすけ椿うつむき咲ける日から日へわたしの中に眠りゆく性

 「百鳥」二十首より。昔話の媼に自らを喩える。けじめ無く過ぎていく日々の中で、体内に燠のように燻る性衝動を意識する。

「歌壇」四月号
うしろむく人の眼鏡ははみ出せり冬の夕焼そこに溶けゆく  吉川宏志
道すべて封鎖されたる武漢にも梅咲きおらむ映されざりき

 「うしろむく人」二十首より。一首目、顔の輪郭からはみ出した眼鏡に夕焼けが映る。細かな写生眼が光る。二首目、テレビに映されない梅を詠うことで、映っている街が背景に退く。武漢はコロナ禍発祥の地である前に、梅の名所でもあるのだ。
花芽ほどくはやさに遅速あることを思ひつつ歩む吾子との道を  佐藤モニカ
よくできましたよくできました褒めたたへ桜咲くなりをさなの春に

 「春限りなし」二十首より。小さい子供は年齢や月齢の少しの差によって成長に遅速がある。それは花芽が咲くほどの微小な差だが、それを子と共に歩く道で実感する。二首目、桜の花の中に「よくできました」と書かれたハンコ。褒められて褒められて育てられる時期は、一人の子供の長い人生においてはほんの一ときの春なのである。

2020.5.角川『短歌』