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『塔』2023年5月号(2)

「和」の文字のつく名の君よ平和とふものの流行りし頃に生まれて 髙野岬 平和は恒久的にいつも望まれるのではなく、流行りがあり、それはもう終わった、という捉え方だ。「平和とふもの」という表現もシニカルだ。平和に対して、一度絶望を通り越して達観しているのだ。

「今ごろは積もっているよ」と雪のたび教師の顔に夫は戻りぬ 川述陽子 夫はもう退職して、かなり経つのだろう。しかし雪が降るたびに、通学の生徒の大変さを思いやって、雪の量を心配している。その顔は昔の教師時代の顔なのだ。それを見ている作者の視線もやさしい。

ああ、なんて無力、とひらくてのひらに春の陽は降る重たいほどに 岡部史 最初のつぶやきのような言葉に心を重ねて読んだ。陽光が掌に重い、という身体感覚も納得がいくものだ。ハ行音+ラ行音の組み合わせが音韻の心地良さを作っている。

銀行に杖を忘れて引き返す母は確かに走りてゐたり 大木恵理子 大変、杖を忘れちゃって、と小走りになる母。走れるんなら杖は要らないのでは…?一首前の歌「心地良く杖をつきつつ母の言ふ杖を頼りに生きてはならぬ」の言葉通りだ。人生訓のような味わいもある母の言葉。

三日月はこの世に向かいし小さき舟 櫂を流され空に千年 ジャッシーいく子 「小さき」は「ちさき」と読みたい。三日月を小さな舟に喩えた。遥か昔にこの世に向かって旅立ったが、櫂が流されてしまい、空に千年もの間漂っている。壮大な景であるが、舟の小ささが愛しい。

脱力はそれほど悪いことじゃない海だってときどき鏡になるし 川端和夫 いつも緊張を強いられているのだろうか。脱力してみたっていいじゃないか、と自らに言い聞かす。海は波があるのもいいが、凪の時、鏡のようになるのもいい。心も凪の海のように平らかでいたい。

理論上、ロマンチストでいなければ貧しい日本(くに)を生きてゆけない 中森舞 初句の堅苦しさが歌にパンチを効かせている。ロマンチストにでもなって、精神の貧しいギスギスした世の中をやり過ごす。そうでもしないとね。まあ理屈で言えば、で死ぬわけじゃないけどね。

ステッキに帽子にスカートやうやくになりたいおばあさんになりました 木原樹庵 形から入るタイプの主体。こんなおばあさんになりたいという絵的な理想があり、一つずつ小物を揃えていった。ようやく自分の理想通りの姿になった、と明るい詠い口。可愛い姿なのだろう。
 かうなれば可愛い婆ちやんになるしかない 軽い丸メガネを買ひにゆく 河野裕子『体力』
 この歌も思い出した。この歌を詠った時の河野裕子はまだ40代後半のはず。日本で「いい感じに年を取る」ことの難しさも思った。ロールモデルが少ないのだ。

「おいで」と言い別れる前に抱きしめる軽くてうすいちいさいひとを 藤田咲 「ひと」は孫だろうがそう言わず描写している。「軽く」「うすい」「ちいさい」という三つが合わさって、はかなく幼い存在が浮かび上がる。抱きしめた時の、その華奢さへの愛情が感じられる。

十年後四人の孫から言われたし「福井の魔女は今日も元気」と 藤田咲 梨木香歩の『西の魔女が死んだ』を下敷きにした歌。西の魔女こと主人公の祖母はすてきなおばあさんだ。福井在住の作者は「福井の魔女」と、大きくなった孫に呼ばれたい。今日も元気、は自画像だろう。

気づくのは会っている時よりも逢っていたと傘干しながら想い出す時 中島奈美 5・10・6・7・7。気づく、の目的語は、あなたとあっていたこと、と取った。その場では実感が無く、後でしみじみ思い出す。対比が巧みだ。傘干しながら、の具体がいいと思った。

2023.5.24.~26. Twitterより編集再掲

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