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『歌壇』2023年5月号

四層の刎木(はねぎ)に架かる橋反りて谷ゆく水を此処に見下ろす 三枝浩樹 山梨県大月市の猿橋を詠んだ歌。写真を見ればなるほど四層の刎木に橋が架かっているが、歌では説明を廃して詠っているのがいい。橋の美しさを教えてくれるこの連載が毎月楽しみだ。

②「受賞第一作にあたって」佐藤弓生
〈詩歌はそうそう計画的に取り組める文芸ではない気がする。小説や評論がある程度ゴールを見すえながら綴られるのに対し、詩歌はおりおりの関心のこだまを生け捕る、そのためだけの形式ではないだろうか。自分が世界や社会や他人をどう見たり思い出したりしたかをそのつど書き留める、そのためだけの。世界や社会や人が自分をどう見ているかも気になることではあるが、そこで自分をどう見せるかを考えだすと計画性が生じ、事象を生け捕る勢いは削がれるだろう。〉
 この部分面白い。「生け捕る」という表現がいい。確かに生け捕らないと。自分が掴み取ったものが、歌になった瞬間には死んでたというのではダメなんだろうと思う。

③「受賞第一作から見えてくるもの」柳澤美晴
〈様々に工夫を凝らしたものの受賞第一作だと胸を張って云える水準に達していないのは分かっていた。分かっていながら自分を誤魔化していた。だから、編集部から次の歌の修正を求められた時、当然だと思った。〉
 これは結構すごい話。歌の修正を求めるって出版社のいい面のように思う。きちんと読んでくれているということだから。何千という歌を読んできた編集者だからできることではないか。その意見を取り入れる作者もすごい。自分の歌には執着があるものだから。特に作りたての連作には。

④桑原正紀「ようこそ、歌の世界へ」
〈和歌は天皇や貴族を中心としたいわゆる堂上派と称された人々にによって命脈を保たれていました。ゆるぎない武家政権が確立した時代にあって、和歌は彼らのアイディンティティ―の拠り所となっていたと言っても過言ではありません。〉
〈こうした堂上(とうしょう、どうしょう・どうじょう、とも)和歌と一括される動きのほかに、それ以外の人々、〈地下(じげ)〉と呼ばれる人々による和歌の水脈も保たれていました。(…)この地下の和歌は、江戸中期以降いっそう充実していくのですが、そのきっかけは〈国学〉の台頭にあります。契沖、賀茂真淵、本居宣長、荷田春満といった国学者たちの古事記、万葉集の研究の成果や歌論が、創作面でも新しい刺激となっていった(…)〉
 さらに田安宗武、小沢盧庵、良寛、橘曙覧の名が挙がる。とても参考になる。江戸期の部分を引いたが近現代もコンパクトに見渡している。読む事を強くお勧めする論だ。

換気扇とどこほりなくまはれるをまぶたを閉ぢてしばし聴きゐつ 近藤由宇 外の空気と内の空気を混ぜ合わせ攪拌する換気扇。その音が心を落ち着けるのに良い。しばし心を泳がせる。主体は、当たり前のことが滞りなく起こっているとも思いつつ、目は閉じたままでいる。
 近藤由宇〈短歌は、私が思う何倍も奥が深く、一生を賭しても究極に至らないかもしれないと思うとき、悲しいとかつらいというような感情は起こらず、心の底から嬉しさが湧き上がってくるのです。〉
 エッセイも良かった。この後に続く部分は特に良いので読んでほしい。

鳥の胃に溶かされてゆく青虫の暗いあおぞらいちどっきりの 田村穂隆 連作の通奏低音として「あお」という語が響いている。この歌では二回使われているが煩雑ではない。一度青空を見ただけの青虫が鳥に食われ胃の中で溶けてゆく。青虫は主体自身の喩でもあるのだ。
 田村穂隆〈発生した短歌を、または組みあがった連作を見てやっと「自分はこういうことをやりたかったのか」と自覚する。〉
 それも創作の一つの在り方だと思った。そうしたでき方の方が満足感は深い気もする。韻律が無意識の界から言葉を連れてくるのだ。

⑦「ことば見聞録」川野里子×品田悦一(万葉学者)
品田悦一〈土地の人で東歌に関与したのは、都から下ってくる国司たちと付き合いのある人たちです。豪族ですね。彼らは「殿」と呼ばれる立派な屋敷に住んでいて、竪穴住居に住んでるその他大勢を使役していた。その一方で、郡司に取り立てられて国司たちの下で行政の末端を担う。国司たちと日常的に交流するなかで、都の文化である短歌を郡司たちもこしらえる場合があったのでしょう。〉
 この時代、庶民は竪穴住居に住んでいたのか…。それは縄文時代の話かと思っていた。圧倒的な貧富の差。竪穴住居に住んでいる庶民が歌を詠んでいたとはとても思えないな。やはり豪族レベルでないと文化を享受できなかったのだろう。万葉集の作者に対する品田の考察は説得力がある。天皇から庶民まで、というキャッチフレーズから漏れてしまう部分だ。

⑧「ことば見聞録」
品田〈万葉集研究の現在まで続くオーソドックスなスタイルは作品論であり、作者論・歌人論です。作品は歌人の自己表現として生み出されたものと見なされ、この了解を前提として解釈を更新していくこと、それが万葉集研究の王道でした。〉
 えーそうなの?
品田〈柿本人麻呂や山部赤人は、万葉を代表する宮廷歌人ですが、彼らの営みは自己表現などではなかった。〉
 こちらの方が自分的に腑に落ちるのだが、説的には新しいようだ。この辺はまだまだ知らないことばかりだ。

⑨「ことば見聞録」
品田〈世が世なら天皇になったかもしれないけれど、実際にはなれなかった人たち、歴史の敗者が大勢いて、そういう人たちに対する哀惜を隠さないんですね。歴史を語るときに、こっちは正しくてこっちは正しくないと裁断するのではなく、どっちへ転んでも不思議ではないところを綱渡りで我々は生きているんだ、という透徹した認識があると思うのです。勝者の側から語る歴史がこういう認識を備えているのは、当時の人々が多くの政争をくぐり抜けたすえにたどり着いた境涯なんでしょう。〉
 このあたり、心に沁みたな。歴史は勝者によって語られることが多いが、その勝者の側の認識が、万葉集の時代ではこのようなものだったということが、特に心に迫った。

⑩「ことば見聞録」
川野里子〈男性批評者が囲んでいる斎藤茂吉という像は、茂吉自身と茂吉を囲む男性論者によって作られてきたのではないのかという気がしてならないのです。例えば(…)「おのが身いとほしければ」を茂吉が演ずるとき、そこに男性評者は自分を重ねていくことができる。それを肯定することによって男性による「おのが身」の渦ができてゆく。それがひとつの文学的な価値観というものを作っていて、もしかするとそれを近代だと思ってきたのではないかと。〉
 この後の川野の発言はとても興味深い。茂吉を新たに研究する前に、「茂吉研究」を現在の目から相対化する必要がある、ということか。茂吉の作品論を他の作家に敷衍出来るかは分からないが、それは措いて、近代文学は小説にしても短歌にしても圧倒的に男性の価値観で成されてきた。その見直しも並行してされるべきと思う。

⑪「ことば見聞録」
品田〈日本の国語教育は道徳教育を兼ねてますからね。〉(笑)
品田〈万葉調で歌を作るのは日本文化の源流を現代に蘇らせる行為だと、本当は違うんだけど、そうみんなが了解して、茂吉の作品は万葉以来の伝統と近代人の感覚を融合させたものだという評価が通り相場になっていく。なまじ褒められるので本人もその気になって、評判どおりの自分にならなくちゃと思ったんだな。〉
 同じ「茂吉研究」「茂吉語り」についても随分川野と品田で視点が違う。どちらも面白い。品田が語ると急にその人物が身近に感じられてしまうなあ。

身ごもりて土管は小さな土管産み雨のしずくを地に伝えおり 棚木恒寿 昭和のマンガの原っぱに置かれていた土管。今あまり土管という語を聞かない。この歌の土管はどこにあるのか。地下か。太い土管の回りに細い土管が配されている。身ごもりて、が奇妙に現実味がある。

2023.5.1.~4. Twitterより編集再掲



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