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『歌壇』2021年4月号(1)

①特集「連作の組み立て方」この特集、良かった。勉強になった。高野公彦〈(水原紫苑の連作に詠まれているのは)現世に普通に存在するものだが、歌の中に再現されたそれらは現世から抜け出して純化され…〉この純化は誰にでもできるわけではない。同じ作者がいつもできるのでもない。

 高野公彦〈連作で大切なのは、歌同士のつながりと展開である。〉〈一首一首のレベルが低いとその連作はガラクタの山となる恐れがある。熱意の底に冷静な判断が必要かもしれない。〉つながりと展開は大切だけど、あまり緊密にやると息苦しいし。熱意と冷静な判断、確かにそうだ。難しいけれど。

②「連作の組み立て方」栗木京子〈少なくとも十首以上の一連になると、どうしても作中主体の輪郭というものに思いが及ぶ。必ずしもストーリーが用意されていなくても構わない。題材も、日常か非日常かを問わず、有形無形の別も問わない。〉作者像、ではなく作中主体の輪郭、なのだ。

 栗木京子〈入選歌を集めた作品集を送ってくれることがある。(…)美しい雨垂れを見ているようで一首一首が流れとして心に響いてこないのだ。それは作者像の厚みが不足しているからだと言えよう。〉一首の屹立性があっても、連作としての力があるかどうかはまた別ということだろう。

 栗木の論は「匿名の場合」という前提付きだが、作者名が分かっている場合でも当てはまることが多い。高野の論も栗木の論も実際の連作を引いていて分かりやすい。若手の連作を、ベテラン歌人がどう読んでいるかということも分かり、興味深い。

③「心に残る連作」馬場あき子「頼朝の秋」について 古谷円〈今ある眼前の景や人に歴史を重ね、心を重ねる百首は、評論でもあり紀行でもあり詩だった。〉何かを重ねて作るという知的処理が、作品の厚みになる。作者の現実だけだと、言葉で違う相に持っていっても、やはりどこか薄い。

2021.4.21.~22.Twitterより編集再掲