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『塔』2024年7月号(3)

じゃあちょっとアンパンマンを呼びますと駅のトイレに冷静な声 黒澤沙都子 絶賛イヤイヤ期の子がトイレでごねている。面倒だがアンパンマンの人形を出すしかない。彼ならいい仕事をしてくれるはずだ。もはや慣れた冷静な声。主体はその冷静さにちょっと驚いている。

きんぽうげしづかにそよぐ深淵が心にもあり君に手を振る 丸山萌 深淵と呼べる風景が実景としてあり、さらに心にもある。その心の深淵の縁で君に手を振る。深淵は二人の間にあり、君とは遠くなりつつある関係性なのだ。静かにそよぐきんぽうげも、激しい感情からは遠い。

玄関は私の体の外にありたまに内側で鳴るドアの音 石田犀 自分の体が自分の家と同化している。家の建物が自分の身体だから、玄関は身体の外になる。ドアは身体の一部。そのドアを開けて何かが中に入って来る。おそらく自分自身が。

一斉に頷くように花は揺れ去年と同じ春で悪いか 古井咲花 何かに同意してくれるかのように揺れる花たち。下句は花たちの言葉のようでもあり主体の言葉のようでもある。年ごとに何かが変化して欲しいと思う気持ちと、同じでいいんだという気持ちは多分矛盾しない。

紙エプロンいらないけれど紙エプロンいりますかって訊かれなかったな 水沢穂波 紙エプロンに限らず、こういうことがあるとモヤッとする。何人かいて自分だけが訊かれなかったりすると特にこたえる。単なる偶然と思いたいのだが。結句の「な」が心情を表している。

神はみな死ぬと思ってバッテリー熱くなってく充電中に 土居尚子 ニーチェのような上句と一見それに直接関係無い下句。熱くなっていくバッテリーに対して心配な気持ちと破滅的な高揚感の両方が感じられる。その高揚感と上句に、どこか通じるものがある。

あの曲はギターリフだけ覚えてる みたいに君のことが好きかな 真緑 歌い出しも覚えてないし、サビも歌えない、そもそも歌詞を知らない、でもギターリフだけ覚えてる。「みたいに」好き。すごく絶妙な比喩。しかも「好きかな」と保留。こうしか言えない微妙さ。

晴れていると海はひときわ青くなる 君の痛みが分からなかった 潮未咲 君の側には痛みがあったが、主体にはそれが分からなかった。今、晴れの日の海を見ていると色の変化に気づく。けれど君の変化には気づかなかった。上句景、下句心情だが、繋がず、並置したのがいい。

2024.7.24.~25. Twitterより編集再掲

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