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『塔』2023年6月号(2)

風葬を終へた言葉はおいてゆく前のめりだとしてもそのまま 澄田広枝 何かの言葉を前のめりで口にしてしまった。口にすべきではない言葉だったのかもしれない。その言葉は風にさらされ、誰からも打ち捨てられた。主体はその言葉を回収しない。そのまま置いておくのだ。

くっきりと小(ち)さき指跡五つありピンクの靴の中敷き抜けば 白井陽子 子供はすぐ大きくなるので、大きめの靴を買いしばらく中敷きを入れて履かせる。窮屈になり、中敷きを抜くと、力を入れているのと汗ばんでいるせいか、跡がついている。可愛い五つの足指の跡だ。

ドビュッシーでもモーツァルトでもなかりしよあの日のわれを救いしは演歌 澤端節子 高尚な音楽は余裕が無いと心に入って来ない。演歌のリズムに心が揺さぶられる。そしてやはり歌詞。一緒に泣きながら唄い、そしていつかそんな自分をふふっと笑えるようになるのだ。

死にさう死にかけ死んだかもちやうどいい浸透圧の言葉を探す 西村玲美 死は喩え。言葉の持つ適切な浸透圧を探りながら話す。リズムは4/4/5/5/7/7。初句二句はワルツのように三拍子で読み、そこでハッと気を取り直して三句~結句は定型で読む。内容も韻律も気になる歌。

ニット帽にサングラス掛けマスク付けそれでもばれた 席を譲らる 村﨑京 顔の回りを完全防備して見えないようにしたつもり。それなのに。ばれたという強い言葉と一字空けに何がバレたのかと思えば年齢。席を譲られてしまった。こんなに顔を隠してもだめですか?
 同じ日に生まれた孫のおかげなり子らはついでに我を祝いぬ 村﨑京 孫の誕生日に、そうそう、と作者のお誕生日も思い出す子ら。どうもありがとう、ついでに祝ってくれて。この作者の歌はアイロニーのパンチが効いていて、絶妙な所で自虐になってないのがいい。

伏せた本が自然に閉じる人間のからだの硬いひとのようです 佐藤浩子 伏せた本が次第にせり上がり、最後は閉じてしまった。前屈しても曲がらず、元に戻っていく人体のよう。「人間の」が視点の変換で効いている。主体も身体が硬いのか、最後の「です」が報告のようだ。

吹雪では指の先さえ真っ白でどの過去も同じくらいの遠さ 鈴木晴香 吹雪の中では指の先も真っ白になり、自分の身体から遠くにあるように見える。自分の過去も自分の指先みたいに遠いところにある。五本指どれもが自分から遠いように、どの過去も同じぐらい遠いのだ。 

さつき見しは背か左岸より眺むれば凹凸(あふとつ)おぼろなる石仏 篠野京 橋を渡りながら何か石のような物を見ていた。渡り終えて左岸から見ると、それはもはや凹凸もおぼろになった石仏だった。さっき何か石のようなものと思っていたのは石仏の背(せな)だったのだ。

㉑魚谷真梨子「子育ての窓㊷」
〈「ひゃく!」と数え切った子に、「あのな、百のあとにも数字が続くんやで」と言うと、「え?ちがうで」と信じてくれなかった。表に書いてある百が、今のところゴールなのである。〉
 可愛過ぎる。
〈未来のことはすべて「あした」なのだ。(…)過去のことはすべて「こないだ」であり、記憶の中で時間は自在に伸び縮みしているようだ。(…)時間感覚というのは成長と共に変わっていくものだとしみじみ思う。〉
 自分は何歳ぐらいに今の時間感覚を身につけたのだろう。知りたい。
いく百年前の光かオリオンの星の並びを子に語りつつ 魚谷真梨子
 この歌の場面のような時に、時間感覚って少しずつ入ってくるのだろうか。

あの日々はたしかに動画だったのに静止画の顔だけが鮮明 榎本ユミ 生きている限り、あらゆる瞬間は動画だ。自分の目も常に動画として周りを見ている。しかし記憶に残っているのは、その中の静止したある瞬間。特に相手の忘れられない、一瞬の表情だけが焼き付いている。

もうすこしこわれてもいい春の夜に丈夫なこころとからだで眠る 松本志李 こんなにも傷ついているのだから、心も身体も少しぐらいおかしくなっても不思議ではない。しかし身体は健康、心も狂ったりしない。それが少し物足りないが、ありがたくもある。「丈夫」が効果的。

散ることを思えば軽くなる靴のどこまで行っても生活がある 真栄城玄太 「散る」は死ぬことの喩だろうか。死を思えば足取りは軽くなる、という意味を込めつつ、上句は序詞になっている。その靴を履いたまま、結局は死ぬことなどできず、生活はどこまでも続くのだ。

2023.6.28.~30. Twitterより編集再掲

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