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河野裕子『はやりを』 10

水に沿ひ歩み来たればはろばろと夏木原青めり月のあかるさ 月夜に川に沿って歩いてきたのだろう。夏の木立が明るい月の下で青く見える。三句の「はろばろと」が音といい、置かれた場所といい、歌を大きく広く見せている。美しい夜の光景。

熱き湯に耐へ得るまでを浸りゐてい怒りを煮ゐる 太き息吐く 河野裕子には怒りの歌が実は多い。この歌では熱い風呂に限界まで入っている。怒りを鎮めているのではなく、怒りを「煮ゐて」いるというのが独特だ。自分の身体も限界まで煮られて、思わず息を吐く。

息の緒は怒りて摑まむ 柔和なる他人(ひと)の手は垂るわれをなだめて 怒りをきっかけに大きく呼吸をする。怒りの裏には悲しみや苦しみがある。それを呼吸で吐いていく。傍で自分をなだめようと言葉をかけてくれている温厚な人の手が垂れているのも見えている。

よろこびは皺ばみやすくかなしみはすこしぬくとく皮膚一枚の内 激しい怒りの歌の少し後にある、人間の感情を見つめ直しているような歌。喜びはすぐ皺になり、悲しみは少し暖かいと体感を使って感情を表現する。全身を覆う一枚の皮膚の内側で起こる気持ちなのだ。

2023.6.12. Twitterより編集再掲

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