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復本一郎『歌よみ人 正岡子規』(岩波書店)

 岩波現代全書022。副題は「病ひに死なじ歌に死ぬとも」。副題は子規の「神の我に歌をよめとぞのたまひし病ひに死なじ歌に死ぬとも」から取られている。

 俳句革新の後、和歌を近代短歌へと導いた子規の評伝。子規の交友を辿り、歌への影響関係を考察した著。子規がどの時点で誰と知り合い、どんな影響を受けたか、証言や著作などから克明に明らかにしている。子規の雅号、若き日の下宿での出来事、源実朝・橘曙覧評価に至った過程、はがきノ歌、天田愚案の影響、鉄幹子規不可並称の説の実質、根岸短歌会の人々など子規という人物を文学者のみならず、一人の人間として浮かび上がらせた著作である。子規を知る上での必読の書である。

 以下、自分の勉強のために写しておく。

 〈子規君の曰くに、至極御同感であるが、僕はまだ和歌のことは研究しないから和歌の標準と云ふものは頭から解つて居らぬ、けれどもこの頃は古今集が面白いと思つて居ると云ふ話であつた。「古今集が面白いやうでは俳句には明るい人であらうけれど、和歌はまだ如何にも初心である」と評した位のことである。〉

 これは与謝野鉄幹の談話で、(明治三十三年九月二十日発行の雑誌「心の華」第三巻九から引用されているが、)明治二十六年当時の感想である。この後、明治二十七年鉄幹は「亡国の音」を発表している。このように鉄幹子規の関係も実際の資料から丁寧に掘り起こされている。また子規が古今集をどのように解釈しているかも分かる。

〈生も数年前迄は古今集崇拝の一人にて候ひしかば、今日世人が古今集を崇拝する気味合は能く存申候。崇拝して居る間は、誠に歌といふものは優美にて、古今集は殊に其粋を抜きたる者とのみ存候ひしお、三年の恋一朝にさめて見れば、あんな意気地の無い女に今迄ばかにされて居つた事かとくやしくも腹立たしく相成候。〉

 子規自身も明治三十一年「歌よみに与ふる書」でこう述べている。

〈例えば小泉苳三著『近代短歌史 明治篇』(白揚社、昭和30年6月刊)においては「世に所謂宮内省派もしくは御歌所派といふ名称の内容は甚だ不安定である。果して御歌所派の歌人が一派を形成するだけの表現様式を持つてゐたらうか。彼らは御歌所を中心として集合した漠然たる存在にすぎない。強いていへばすでに述べたごとくむしろ桂園派歌風即ち前時代和歌の連続であつた」とした上で、高崎正風、税所敦子、小池道子、黒田清綱、香川景敏、伊東祐命、小出粲、須川信行、大口鯛二、阪正臣、加部厳夫、鎌田正夫、松浦辰男等の歌人を挙げている。〉

 鉄幹自身が「旧派歌人」(「宮内省派」)と列挙しているのは高崎正風、小出粲、植松有経、黒川真頼、福羽美静、本居豊穎、黒田清綱、林甕臣の八氏。

 子規の使った「趣味」と言う語について。明治三十三年。高浜虚子編『寒玉集』巻頭の「叙事文」の末尾の子規の文を引いている。

〈文体は言文一致か又はそれに近き文体が写実に適し居るなり。言文一致は平易にして耳だたぬを主とす。(中略)言文一致の内に不調和なるむづかしき漢語を用ゐるは極めて悪し。言葉の美を弄するは別に其体あり。写実に言葉の美を弄すれば、写実の趣味を失ふ者と知るべし。〉

「趣味」だけでなく「言文一致」についてどのように子規が考えていたかを知ることができる。

岩波現代全書022(岩波書店) 2014.2. 2300円+税