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『歌壇』2021年1月号

斎院の性のなやみにふれんとし書きなづみたる若き日ありき 馬場あき子 斎院とは賀茂神社に仕える未婚の内親王または女王。神に仕えるために未婚のままいなければならない斎院にも性の悩みがあった。人間なのだから…。それを書きなづんでいた作者もその悩みを共有できたのだろう。

②栗木京子「歌の根幹にあるもの」〈一人の歌人の中には必ず認識や感性の中核を成すものが存在していると思う。〉黄の鯉をおおきく見せる冬のみず雪は黄色を揺らして消える 小島なお〈地味な一首かもしれないが、こうした粘り強い観察眼の光る歌が作者の力量を物語っている。「静」で始まった情景が「動」に転じ、やがて「消える」で終わる。そのゆったりとした間合いに、息を呑んだ。〉〈いつも自分が認識しているはずの自分は、じつは錯覚なのではないか。(…)いや、それよりも元々「私」などどこにも無いのではないか。〉

歌集を読み解きながら、「根幹の認識」を探った文。特に小島なおの『展開図』の歌に多くの行数を割いて丁寧に読んでいる。最近の歌の傾向を知るためには、傾向を語るのではなく、歌について語らなければならないと再確認した文だった。

③「詩歌の戦後七十五年」川野里子〈(「女歌」は)前近代性を切り捨てるのではなく新しい方法で表現することを目指したわけです。しかし実はそれが戦前と戦後を繋ぐ役割をしたのではなかったか〉短歌史を見る時に、こうした新たな視点が必要だと思う。今までの視点を深掘りするよりも。

川野〈私は、「前衛」という名前はともかく、戦後の新しい造型意欲を持った集団の中に女性を積極的に加えたいと思うのです。葛原妙子や森岡貞香、中城ふみ子あたりがやった仕事は非常に大きくて、(…)それが前衛短歌よりちょっと前に出て来ているのです。〉まさにこれ。

戦後の短歌史の中で、「前衛」、あるいはその前後をもっと柔軟に捉えなおさなければならないのではないか。もっと広い範囲で考え、表現や方法論についても考察し直すべきだろう。川野里子の発言に強く共感する。

2021.1.16.~17.Twitterより編集再掲