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『塔』2024年4月号創刊70周年記念号(3)

きんのゆげ 臓器をこぽこぽあたためるために冬のむアップルティーの 上澄眠 初句の平仮名書きに立ち止まる。倒置が効いている。その初句の柔らかさ、冬の紅茶の温かさ、こぽこぽというオノマトペの愛らしさという柔らかい要素と、臓器という語の強さの対比が際立つ。

いらないと扉を閉めて遠く遠く遠く離れていった子供ら 谷口美生 子供が自立するのは良いことなのだし、子供らとしても拒絶したつもりはないのだろうが、親としてそのように感じてしまった。遠くの語の三回の繰り返しに愛情を捧げ持ったまま立ち尽くす主体の姿が重なる。

宛先に届かぬ賀状かえりきて夫の今年の計画を知る 佐原亜子 今年は~をするつもりです、と夫が書いた年賀状が戻って来た。へえそうなの?それで夫の予定を知る主体。一番近いがゆえに却って意思疎通が疎かになる家族。初句には重い意味の無い、ユーモアの歌と取りたい。

ぴつ、と冬 柊の葉のするどさのちひさき戦ひをひきうけてみる 小田桐夕 「ぴつ」のオノマトペが鋭い。柊の葉の形状を指しているのだろうが、空気を刺す音のようにも思える。鋭く開く葉の在りようを自らに重ねている。意志を持って一歩踏み出す時の気持ちだろうか。

登りでは見えぬ寄進の名と日付け視野に流して鳥居をくだる 黒木浩子 伏見稲荷大社の千本鳥居。坂を登るときには見えない寄進の名と日付が、坂を下るときには目に入って来る。「視野に流して」という表現が情景を生き生きと伝える。体感に訴えてくるリアリティがある。

私こそマウント取りたき人だったハシボソ鴉の鳴き声に覚む 中野敦子 マウントという言葉が無い頃は、その行為にモヤモヤしても指摘しづらかった。言葉が出来て意識化できるし、さらに自分がマウントしたかったのだとまで気づく。鴉のだみ声でハッと我にかえるように。

きれいごとなど歌ふなといふこゑよ きれいごとしかわたしは知らない 白石瑞紀 初句二句はありがちな指摘かもしれない。しかし下句でそれに反論する主体。実質なんて何も無い、自分にあるのはきれいごとだけなのだ、と。自分の空っぽさこそが拠り所という覚悟を感じる。

万華鏡のなかに咲く花まはらせていくども花の形を毀す 白石瑞紀 万華鏡を回すことによって花の形を作る、というのがよくある捉え方だろう。この歌は、作る前にこわすことに焦点が合っている。「毀」の字が強い。今月のこの作者の一連は凄味があって惹かれた。

㉒廣野翔一「weathercock's report 事務局のお仕事」
〈もうひとつの大仕事はレジュメ等の印刷物。レジュメ等を75人分を針なしホッチキスで留めてゆく作業が想像するとキツいのだが(…)〉
 川本千栄『キマイラ文語』を読む会の事務局をしていただいた。ありがとうございます!ここ読むと泣ける。

㉓大井亜希「わたしの休日」
〈山荘という生活空間のなかで見ると、遠い親戚の叔父さんの遺したものを見ているような親しみと愉しさが加わります。〉
 藤田嗣治展を大山崎山荘で見た時の感想。絵というのは本来そういう場所で見るものだと納得する。美術館はむしろ代用だろう。

いつだってしずかにしずかに雪は降りあなたがかなしいのをしっていた 君村類 雪が音も無く降る。いつの日もそうだったという追憶。呼応するように「あなた」の記憶も蘇る。平仮名で書かれた下句に、知ってはいたがどうしようもできなかった、主体自身の悲しみが滲む。

2024.5.23.~26. Twitterより編集再掲

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