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河野裕子『はやりを』 16

夏帽子冠れる八歳の女児の列ふりむきし一人が吾子なのかどうか 小学2年生。遠足か何かで帽子をかぶり列になり、どこかへ行こうとしている。その時一人の子が振り向いてこちらを見た。遠いからあるいは逆光で、自分の子かどうか分からない。一瞬の場面の切り取り。

鬱がちの家系の尖(さき)に咲きゆるび茗荷のはなのごときわれかも 河野は熊本に繋がる家系を度々歌に詠んでいる。その家系、そして自分は鬱がちと捉える。家系の一番先端にいる自分を、地味な茗荷の花のごときと詠う。後年母の眼も茗荷の花に喩えて詠んだ。

むかしむかし涼しき音をよろこびし時計の下に宵のうたた寝暗がりに柱時計の音を聴く月出るまへの七つのしづく 河野の実家は商家で大きな柱時計があったようだ。子供の頃からなじみの時計に対する愛着の歌。七時を告げる音を七つのしずくと涼しく表現している。

時といふ今を重ねて逆なでてしかもとつぷりと生きてゆくなり 河野は物を描写して心情を詠むことが多いが、この歌はイメージのみの歌だ。今を重ねて、は言えそうだが「逆なでて」は河野しか言えない。そして生き方に対する「とっぷりと」も場を得たオノマトペだ。

2023.6.18. Twitterより編集再掲

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