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『塔』2023年6月号(1)

ドラム打つ黒き革靴映されて古きほど恋の歌は明るし 吉川宏志 1950年代かそれ以前の映像だと思う。革靴を履いてスーツ姿で演奏するドラマー。明るい歌詞の恋の歌。その能天気さに驚く。いつから恋の歌の歌詞は暗くなったのだろう。それと共に時代も暗くなったのか。

尾があらばちぎれるくらいに振るタイプいつも鍵借りに来る子は 芦田美香 もし犬であったら、親愛の情を表して尻尾を振るだろう、それもちぎれるぐらいに。人間だから全身で好意を表してくる。こんな子は誰からも好かれるのだろうなあ。結句の字足らずに少し不全感。

とびきりの明るいスタンプ選びたり言葉の重さにつぶされぬよう 森尻理恵 相手から来る言葉も、自分が相手への言葉も重すぎる時、言葉の重さに心が潰されそうになる時、とびきり陽気なスタンプを使う。それで内容が明るくなるわけではないが少し心を支えてくれるのだ。

④前田康子「八角堂便り」
指紋押す指の無ければ外国人登録証にわが指紋なし 金夏日(キムハイル)〈外国人登録証に指紋押捺が必要であった頃の歌。敢えて病でなくした指を詠み、押捺の無意味さを鋭く世に問う一首である。〉ハンセン病で指を失った作者。胸を打たれる歌。
韓語にてトラジと呼べる白桔梗わが庭いっぱい広がり咲けり 金夏日
 この歌も印象深い。学ぶことの喜びを詠った歌に惹かれる。先に挙げた鋭い歌と、この歌のような明るい歌の両方が挙げられているのが良かった。

スカーフのような四角の感情の裾を見つけて手繰り寄せたり 川上まなみ 目に見えない感情というものを可視化している。感情の裾を手繰り寄せる感覚が、布に襞を作って手繰り寄せる体感として伝わってくる。そんな風に手繰り寄せないと自分の感情は分からないものなのだ。

全国の動物園のシロクマの名をそらんじる物好きここに 由本慶子 いえいえそんなあなた、物好きだなんて。今動物園は過渡期。希少な動物は全国でも数えるほどしかいなし、また補充されない。下手したら全国の動物園のその種がみんな親戚だなんてことも大いにある。
 俳人坪内稔典もカバを尋ね歩いて句を読んでいた。シロクマもきっとそんなに多くいないはず。ほら、パンダなら誰でも、どこに何頭ぐらいいるか大体見当つくはずだ。ところでその諳んじてる方は作者当人だろうか。それとも作者の身近な人?当人なら「物好き」にちょっと照れが入ってる。

楔形文字より電子の情報が脆いだなんて(Not Found) はなきりんかげろう 世界最古の文字の一つと言われる楔形文字。粘土板に尖筆で書き込まれたという。電子での保存に信頼を置きがちな現代社会だが、電子情報は脆い。それの比較としての楔形文字が効いている。
 最後のNot Foundが音としても効果的だ。カタカナ読みしたら七音。でも英語っぽく二音節で、ぽん、ぽんと読んで、余韻を響かせるのもいい。楔形文字から想像も広がる。ものすごい長期的な事を考えたら、本当に何が情報として残るか分からないな。

オムライスはしからくずして「うまく言えない」で流してしまうのはだめ 上澄眠 三句四句句跨りで〈「うまく言え/ないで」流して〉と取った。オムライスを崩して食べることと、心を言葉に出来ずになし崩しに流してしまうことが重なる。主体はそれに抗っているのだ。

横笛と鼓失せたる雛仕舞ふあねは時折いもとを疎む 水本玲子 雛人形を今年も片付けようとしている。長年使っているので小物がなくなったりしている。下句は少し昔風な口調なので、今、主体の子や孫を詠っているのではなく、主体自身が姉か妹のどちらかであったと取った。

つき詰めずいられぬとおもうつき詰めずいるしかないとおもう春の鉄橋 中田明子 相手の真意を突き詰めずにはいられないが、同時に突き詰めずにいるしかないとも思う。人と人との繋がりの難しさを結句が表す。四句の字余りはもとより、ひらがなの多さが意外に重苦しい。

出会いしは十代それから途切れずにここまできたといつになく思う 林泉 いいなあと思う。過去を振り返る視線がやさしい。「いつになく」でそんなに頻繁に起こる感興ではないと分かる。感傷的でないのもいい。パートナーとの間柄だろうが、十代からの友人かもしれない。

トラックの荷台に日傘の母と猫あの引っ越しを絶頂として 広瀬明子 映画の一場面のような歌。トラックの荷台に日傘を差して乗っていた若き日の母。荷物の間に収まって、猫まで抱えて。それが母の人生の絶頂だったのだと振り返る視点。映像と共に時間も内包する歌。

2023.6.25.~27. Twitterより編集再掲


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