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『塔』2023年10月号(2)

きみの背の高さを踵からでなくわたしのくちびるから測るとき 鈴木晴香 「きみ」の実際の身長ではなく、「わたし」との身長差が二人にとっては大切。主体の頭のてっぺんから測るのではなく、唇から測るところに艶がある。接吻する時の君の頭の位置が分かるように、か。

女友達の夫にさほど興味なし男友達の妻は見てみたし 逢坂みずき うーん、分かる。何だか自分の中の嫌な面かも知れないが。会ってみたいのではなく、「見て」みたいというのもちょっと屈折している。友達になりたい訳では無いのだ。そして実際なれないかもしれないし。

⑬上澄眠「誌面時評」
〈二月号の誌面時評で、「作者名がわかることによって評価が上がる歌」に疑問を感じている、と書いた。作者がどんな人物かによって評価が変化することに割り切れないものを感じていたのだ。〉
〈知識ゼロでの読みと、知識を得てからで二回読むことができたのは良かったと思っている。どちらがいいとか正しいとかではなく、作者の人物像を知ることで印象や読みが変化することは確かにあると実感したからだ。〉
 考えさせられる。歌会では無記名で歌だけで読むが、それ以外の場面ではほぼ記名だろう。作者名、あるいは作者の人物像を読みにどう関わらせていくか。自分の経験を通して語っているところに書き手の誠実さを感じた。結論部分も共感した。ぜひ多くの人に読んで欲しい時評だ。

今にして思へばさほど気にならぬ眼圧検査の風ほどのこと 加藤宙 眼圧検査の風、来るぞ来るぞと思っていても風が目に当たった瞬間びくーっとする。その後引きずるようなことではないが。主体が思っている何かもその程度のことだったのだ、と自分に言い聞かせている。

明日着る服を選んでから眠るこの世がこわいことだらけでも 上澄眠 この世は怖いことだらけだ。たとえ家族がいてもその怖いことには一人一人で向き合わなければいけない。明日着る服を選んで明日を待つ。服がもう一つの皮膚のように自分を守ってくれることを信じて。

不確かな死後の世界の有る無しを癌完治せし同士でさぐる 小原文子 一度癌にかかったら完治したとはいえ人生観が変わってしまう。死が観念でなく、現実に見て触れるものに思えるからだ。そしてその後の世界の有る無し。どう思う、と単刀直入に聞かずそっと探り合うのだ。

ツタタタタ連打の音の軽やかに世界のニュースに銃を打つ人 竹垣なほ志 ニュース映像から漏れる銃の音はなぜいつもあんなに軽やかなのだろう。その音の先にある悲惨は放映されない。「世界の」ニュースと言うことによって各地で紛争が起こっていることを匂わせている。

ぼんやりとだれかを好きにならぬよう夏の木立に寄りかかりいる 松本志李 「ぼんやりと」は何に掛かっているのか。結句では遠すぎる。ぼんやりと好きになる、そうはならぬよう、と取った。心に何か欠落感があって油断していると誰かを好きになってしまうのではないか。

ひまわりを見あげていたり燃えはじめるときを見ていてほしいと言われ 松本志李 今から私は燃えるので見ていてほしい、そうひまわりに言われたのだろうが、なぜ、どう燃えるのか。「咲く」の比喩ではなく何かの情念を持ってひまわりは燃えるのだ。それを見上げる主体。

終の処はやはり京都と思ひたり両足院も法然院も雨 木原樹庵 しんと心に沁みて来るのだが、静かな華やかさのようなものもある。両足院、法然院と重ねることによるイメージの深まり。どちらの寺院にも雨が降っているという憂愁。終の処という語がそこに響いている。

2023.11.8.~10. Twitterより編集再掲

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