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『歌壇』2023年12月号(追記あり)

さまざまな人の来たりて弾いて去る「駅ピアノ」よし「空港ピアノ」も 小池光 最近インスタで駅ピアノや空港ピアノ的な動画ばかり見ているので思わず反応してしまった。弾いている人の表情も聞いている人の表情も確かに「よし」と思う。見ているこちらの表情も緩む。

背に負へるリュックを降ろし旅人はエルトン・ジョンを弾きはじめたり 小池光 ピアノを見て旅人がリュックを降ろして弾き始める。旅の一場面。行きずりの人々が一瞬音楽で結びつく。曲の題名は何なのか、なぜ小池がこれをエルトンの曲と分かったのか、気になる。

帰っても親がいるだけなんスよと言われていたる〈親〉を思えり 大松達知 「親がいるだけ」と言われてしまう、つまらない存在の親。帰ってもしかたがない。主体はその〈親〉と自身を重ねているのだろう。かつては自身の親のこともそのように思っていたはずなのだが。

④大井学「年間時評」
〈岡井の定義による三派は現在、緩やかに形を変えて存続しているように思われる。「大衆参加型歌壇」と呼ばれていたものは現在の「短歌ブーム」を支え(…)。IT歌壇はSNS歌壇へと変容していた。そのSNSも既に拡大期を終えていることから(…)。同時に旧歌壇は(…)。〉
 ここは最後近くの部分なので少し控え目に引いておきます。元記事で読んでください。でも、あ、「旧歌壇」って言っちゃうんだ、と思った。私自身は怖くて言えなかったんだけど。そう言うことによって、短歌ブームが一過性のブームでは無く、歌壇地図の塗り替えになるんだと表明してしまう気がして。明治の新派旧派的なことが想定されているのだろうか。とりあえず、私はまだ言えない。

救急車の灯りめざしてひた走る午前四時半のわが道くらし 笹公人 斎藤茂吉『赤光』の本歌取り。こうした「型」の導入が深刻な場面を描く時の道具になってくれるのだと思う。心身を削られるような状況を緩和してくれるような。写実的な他の歌にも心をゆすぶられた。

指弾きのベース その指の立て方が綺麗で、触れられたかったけれど 中井スピカ ベースは基本指弾きだと思うが、わざわざ言うことによって、ベーシストの指が浮かんで来る。その指で触れられたかった。けれど触れられなかった。ベースという楽器の官能性が活きる歌。

⑦堀田季何「井上泰至編『混沌と革新の明治文化』」
〈歌人や俳人は、案外、短歌史や俳句史をよく知らない。特に、幕末から明治にかけての部分だ。〉
 ですよね。これは面白そう。書評を読んで、その本を読んでみたいと思わせる文。自分の「ほしいものリスト」に追加した。

2023.12.27.~28. Twitterより編集再掲

①(補)さまざまな人の来たりて弾いて去る「駅ピアノ」よし「空港ピアノ」も/背に負へるリュックを降ろし旅人はエルトン・ジョンを弾きはじめたり 小池光 この評を書いた時、小池が見ているのはインスタ動画と思い込んでいたが、NHKでこのタイトルのTV番組があることに今日気づいた。
 しかも人気番組。知ってる人も多いはず。「駅ピアノ」「空港ピアノ」「街角ピアノ」と三種類。なぜ小池がエルトン・ジョンの曲と分かったか不思議だったが、曲名やアーティスト名が画面に出るんだね。この番組を知ってる人には普通に読める歌だろう。それか検索するか、か。

2024.3.26. Twitterより編集再掲

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