見出し画像

『塔』2023年8月号(2)

⑧永山裕美「永田淳『光の鱗』評」
〈この歌集での子の歌の多さは、もしかしたら、子の巣立ちゆく時期がもたらした、今を残しておかねばという意識が、働いているのかもしれない。〉 
 とても行き届いた評。歌集評を書く参考になる点が多い。『光の鱗』と共に読まれて欲しい。

そのときに手からパドルが剥がされてきみが激流だと思い知る 君村類 川下りの場面を喩にしている。小舟を上手く扱っているつもりだったが、きみという激流にパドルを離してしまった。「そのとき」は、心で、あるいは、心身両方で、きみと真剣に向き合った時だと取った。

明るすぎて画面は暗しやみくもにシャッターを押す斎王代あたり 朝日みさ よく分かる光景。太陽が眩し過ぎて、画面が暗くなってしまうのだ。よく見えないからやみくもにシャッターを押す。初夏の京都、葵祭だ。どうか斎王代がきれいに写っていますように、と祈りながら。

本心を語らなくなりたるひとが窓のやうなる相槌を打つ 千葉優作 以前は本心を語ってくれていた人がもう語らなくなってしまった。その人の打つ相槌を「窓のやう」とした比喩が鋭い。明るく、広く、透明だけれど、虚しい。何も心に入っていないのだなと思わせる相槌だ。

おおきなる真鯉の口に吞み込まれ五月しばらく眠っていたい 松本志李 鯉のぼりを眺めていると、開いた口の中に呑み込まれるような気分になることがある。真鯉のあの大きさなら、しばらく自分を隠してくれるだろう。何も考えず、鯉の体内で風に揺られ、眠っていたいのだ。

藤房のゆらゆらさやぐこれの世に一生(ひとよ)ながしと母は呟く 小平厚子 美しく哀しい一連。おそらく父はもう亡い。藤房のように長く伸びる母の命。藤房にはゆらゆらさやぐ仲間があるが、孤独を感じながら生きている人には、長寿は負担でもある。母の呟きが胸に迫る。

思い出になるよりましか美しいだけのホワイトアスパラを茹で 榎本ユミ ホワイトアスパラのような、美しいだけ、思い出になるだけの存在になりたくない。最後は憎み合ったとしても、相手の心に何らかの傷跡を残すような存在になる方がましだ。そんな激しい歌と取った。

遅咲きの梅を水辺に見渡せばふたりの過去まで届く陽光 真栄城玄太 二人で梅を見に来た。遅咲きだからもう春が近いのだろう。水辺に立って梅を見渡せば、春の陽光が降って来る。まるで二人の過去まで届くような真っ直ぐな光だ。美しい景から過去の透明さも思い描ける。

へたっぴなピアノが続くアマリリス 付属品でしょ子供はどうせ 中井スピカ 子供の頃、親の見栄でピアノを習わせられたのだろうか。気が進まず、ピアノも上手くならなかった。どうせ子供の私は、親のあなたの付属品でしかないんでしょ?そんな声がまだ脳内に残っている。

2023.8.30.~31. Twitterより編集再掲

この記事が参加している募集